親としての責任を突きつけられまくる日々

子供達の学校から
供給されているアプリが
「すごいなー」と驚いています。

ロールプレイングゲームで
英語の勉強が出来るし
プログラミングもゲームで
覚えられます。

子供達はすごく楽しそうです。


そうやってゲームに
夢中になってたら
英語も覚えちゃいました。(てへ)


ってなれたら一番良いですよね。

親子の負担が軽減されます。


子供が長時間ゲームをしているのを
見るとモヤモヤするのは、
そのゲームに時間を使った結果、
得たものが見えづらいからでは
ないでしょうか。


ゲームを楽しんだ結果
掛け算が理解出来るようになった
計算問題が出来るようになった

文章問題が解けるようになった
など成長が見られたら
親も喜んでゲームを
させると思います。



コロナ禍の為
家にいる子供の
勉強を見る事が
増えたのですが、


親としての責任を
日々突きつけられ
まくっています。


私の責任とは
子供の知識や成長を促す事
だと思っていますが、
そんな私の思いとは裏腹に
子供自身は、
難しい学校の問題を解くことを
面倒くさがったり億劫がったり
やりたがらなかったりします。



放置すれば延びないし
かといって強制させれば
潰してしまうし
とそのバランスが難しくて
すごく苦しい感情を抱きます。


でも勉強に彼ら自身が
夢中になれたならば
お互いにストレスが
なくなるわけで、


そういう時代がもうすぐ
やってくるのだなと
そのアプリを見て
実感しました。



本格的にAI社会が
到来したならば

子供それぞれの
興味をひくやり方で
問題を楽しく学ぶ
導線を構成できるだろうし


集中力に合わせた
プログラムを組んでくれる
と思います。




実際子供を通わせていた
塾ではAIが搭載されていて
子供の弱点部分などを
分析し問題を出していました。




けれどもこういった
サービスは
当たり前ですが、
有料サービスになるでしょう。


国が一斉に公立学校で
導入するとは
考えにくいからです。



つまりは親の経済格差が
子供の教育格差に
今よりもさらに
拡がっていくのでは
ないでしょうか。



既に私たちの時代よりも
週休2日制度の導入による
授業枠の減少に加えて、


早期からの英語教育や
これからはプログラミングも
加わるので、
授業の枠が
全然足りなくなってきています。


日本の小学校の授業内容は
結構難しいと思います。


そこを昔よりも
短時間で理解しなければ
ならない子供たち。


時間短縮の分は
お金を払って
塾へいくか家庭内で
負担するかというのが
今の現実です。


今よりも
教育格差が広がれば、
さらに学歴社会が根強くなって
いくのかもしれません。



画像:ロールプレイングゲームですが
相手への攻撃が、問題に正解することで
可能になっています。

(プレイヤーはボス:9月から1年生)





「学校をやめたい」と話す長男パズーとの日々 〜Vo.3〜

恥ずかしい話しなのですが、 
同居の時は
(当時の)旦那さんと
トラブルにならない事が
家庭内での第一優先事項だった為 
 
 
子供の教育には
携わらないように
していたのですが、
 
 
別居を期に子供の教育を一手に
引き受ける事になって 
初めて分かった事が
多々ありました。 
 
  

別居した時パズーは
小学校二年生になって
いたのですが、 

一人で学校の準備が出来ない
(旦那さんがやっていたので
当たり前なのですが)
 
 
宿題が出来ない
 
など心配な面も出てきた上に

 
「学校」教育にココ自身が
面として向き合う事になり、 
 
 
その時に改めて驚いたのが
宿題の多さに加えて
その内容でした。 
 
 
デシリットルの宿題が
半年近くも出るなど


社会で使わないような内容が
改定されず、 
 

そこを完璧に答えられるように
なるまで続けられる教育に
疑問を抱くようになって
いったのでした。 
 
 
 
さらにそこにきて
パズーからの一貫した
「学校をやめたい」発言。

 
ココ自身で決断の出来る
環境(別居)となり、
 
 
「真剣に取り組む価値があるな」と 
思いました。 
 
 
そこから色んな選択肢を
探りました。 
 


パズーの「学校をやめたい」
という本質がいまだに
明確ではなかったので、 
 

転校やフリースクール
という選択肢を含め
情報を集めました。 
 
 
そこでたまたま出会ったのが
現在通う事になった
インターナショナルスクールでした。 
 

パズーの入学時には
語学の取得によって
世界が広がるという想いから

 
インターナショナルスクールを
と考えていたのですが、


ここ近年で5Gや
AIなどテクノロジーの発達を
みていると


語学の取得
という理由だけで
インターナショナルスクールを
選ぶのはどうかな?
 
 
という気持ちがあった為
インターナショナルスクールに
絶対行かせたいという
気持ちは特にありませんでした。
 
 
けれども、たまたま
ご縁があり見学へ行った
今のスクールで
目の当たりにしたのが、

 
通っている子供達が
生き生きと発言し、
学んでいる姿でした。


1日見学し、
こなす勉強ではなく
自ら学ぶ勉強を
して欲しいという
ココの想いと合致する
教育方針に感銘を受け


ココ「転校させたい」
と思いました。 



ただそこにはとてもつもない
ハードルがあります。
 


3才の年少から通学し
既に英語歴に5年程の差があり、
スピーキング、ライティング、リーディング力が
ついている子供達の中に入って 
 

「Hello」も知らない
パズー小学2年生が
やっていけるのか?



相当本人に強い意思がないと
「厳しいな」という気持ちでした。 

 

有難い事にスクール側としては、
英語ゼロでも
受け入れるという返答を
頂けました。
  
 
それからパズーと
何度も何度も話し合い
意思を確認し、 


公立に通いながら
週に1回の体験を
1か月間行った上で
パズーの気持ちを確認したところ

パズー「ここのスクールに通いたい」 
 

というので、
公立からインターナショナルスクールへ
移る事になりました。
 
 
レベルの違う生徒の中でも
スクール側の個別対応や
学習への誘導
カリキュラムがしっかりしているので、


集団の中だと
ついていけない
パズーも
楽しんでスクールに
通学する事ができています。


 

もちろん、
学歴を否定しているわけでは
ありません。
  

なぜなら社会は
学歴のある人たちで
作られているわけで、 

今後も学歴社会は
なくならいと思っています。 
 
 

ただ、学歴を必要とする
職業(学歴がないと
そもそも就けない仕事)は何か
という事を理解した上で

 

学歴重視の教育を子供に
していくのか
 
 
ただただ学校で
【優秀な成績を取らせる事】を 

目標に卒業させたとしても
子供自身の納得感や


将来社会に出た時に
その学力を活かせるかが
天と地ほど変わってくるのだと
思っています。 


 
どんどんテクノロジーは発達し
めまぐるしく世の中が
変わっていっています。 
 
 
そんな中で既に私たち世代は
過去の教育を受け
過去の世代なのです。
 
 
子供達は未来を生き
私たちよりも
一世代進化しているのです。
 

社会がこれだけ変化を
遂げているのです。
 

「違和感」を感じる
子供の感性も
大事にしてもいいのではないかなと
思います。


 

「学校をやめたい」と話す長男パズーとの日々 〜Vo.2〜 

 
(当時の)旦那さんと
ココとは教育方針が全く逆で

 
<パズー小学校入学前> 


ココ(子供の意思が一番大事だし、
これからの時代を考えて
インターナショナルスクールに
通わせたい)


と思っていましたが、
当時はインターナショナルスクールに
通わせる経済力もなかった
事に加えて、 
  

(当時の)旦那さんは大学まで
学費のかからない
【公立を卒業すること】


 
こそが成功であり
優秀という考え方でした。

 

夫婦の立場が
対等ではなかった
我が家では、
ココの意見などは
聞いてもらえませんでした。 
  
 
 
さらに
(当時の)旦那さんは
とても教育熱心で


パズーが小学校へ入ってからは
家にいる時は
宿題を(鬼の形相でしたが・・)
手取り足取り教えたり
 
 
 
学校の用意も
全て(当時の)旦那さん
が子供が寝静まった後に
完璧に揃えてあげたり、
 

失敗を先回りして
防ぐのが教育だと思っている
考え方でした。


ココとしては、
学校の用意も
本人にやらせたい(自立)




宿題も多すぎて
「持ち帰り残業のようだな」
と思っていたくらいなので、

 
お互いの教育方針がそもそも
真逆な事に加えて
歩み寄りの話し合いも
出来なかったので、



夫婦で
折り合いもつかないまま
ココが教育に携われば 

 
子供自身が
「パパとママで言っていることが違う」
 

 
と混乱すると思い、
教育に携われませんでした。

 
なので、
パズーと話しはするものの
「学校をやめたい」



というパズーの言葉を組んで
行動に移すといところまでは
いきませんでした。



今振り返れば
パズーの教育に
携われなかった期間



子供と距離があったのだと
思います。



それが別居を期に色々と
環境が変わっていきます。



続く

「学校をやめたい」と話す長男パズーとの日々 〜Vo.1〜 


皆で整列して
授業を聞いてって

出来る子もいれば、
そこに「違和感」を感じる子もいる


全員同じなわけがない、
遺伝子が近い親子だって
全然違うのだから 
 


そう感じる子が居ても
なんら不思議な事ではないと
ココは思っています。
 


一人一人感じ方も
得意も不得意も
あるのは当たり前。


だから学校に「違和感」
を感じる子が居ても
それはそれで 
普通なのだと思うのです。

 

「学校」へ行かない
と言われると親としては
不安になるのですが、


親自身が「学校」についての
価値基準んであったり
目的が明確であれば

 

取捨選択が出来ますし、

 

子供にも「学校」へ行く意義に
ついて説明する事が出来ます。



漠然と年齢が来たら
「学校」に行くものと
思っているだけだと 
 


学校に「違和感」を感じている
子供に対して説得力のある
説明ができません。




「学校」って何を学びに
行く所でどういう人間教育を
させるところなのか?


その成り立ちを考えたり
「学校」を卒業した後

最終的にどういう大人になる為の
基礎作りの場なのかを親自身が
考える必要があるのだと思います。


ただただ「学校」に行けば
時間がたてば大人になる 
 
 
ではなくて

◯◯の学校では
こういう教育理念だから
将来こういう仕事に就ける、
まで考えて
今の「学校」選びが出来ていれば


子供に説明も出来ます。

 
 

私が子供の頃は
「学校」はお友達と遊ぶ場だったので
 
 

どちらかというと
好きでした。
  

なので、
特に「違和感」を感じたり
行きたくないという事も
ありませんでした。



今親になり子供を通して
「学校」を
みていると
当時と何一つ変わらない教育の
カリキュラムのままでした。



もちろん英語教育の導入や
今後はプログラミングなど
当時は無かった必修科目が
増えていくのですが、



けれでも、まだまだ
今の教育の変化のなさに
「違和感」を
感じました。

 
 
それに加えて
パズーも
一年生の頃から
「学校をやめたい」
と言っていました。 
 

様子をみていると
お友達とトラブルがある
わけでもなさそうですし、 

 
「学校に行きたくない」
 

とぐずった事も一度も 
ありませんでした。 
 
 
ただ思い立った時に
一貫して「学校をやめる」
という発言を繰り返していました。  

 
最初は慣れない学校生活で
そんな発言をしている
ものだと思って
いたのですが、


二年生になっても同様に
「学校をやめたい」
と言い続けていました。 
 
 

パズーが「学校をやめたい」
というたびに
色々話し合いました。


ココ「学校をやめて
家にいる間やりたい事が
決まったら良いよ」 
 

パスー「カブト虫を飼う」 
 
 
ココ「今飼っているバッタの世話も
やってないのに?」


パズー「・・・・・」
 
 
ココ「学校が嫌なら他の学校
に通う?」
 
 
パズー「ううん、通わない
学校をやめたいの」 
 
 
ココ「嫌な子とか
いじめられたりしてるの?」


パズー「乱暴する子はいるよ。」


ココ「じゃ、その子と
話し合ってみようか?」
 

パズー「んー、そんなに
困ってないから大丈夫」


ココ「分かった、
じゃまた何かあったら教えてね」

 
パズー「うん、分かった」



と言って毎日学校へは
楽しそうにお友達と通うのですが、 
 

「学校をやめたい」という
意思そのものはその後も
変わりませんでした。 
 


続く