逃げる為に逃げ道を作る!

「逃げるは恥だが役に立つ」

というドラマが大好きです。


タイトルの響きだけお借りすると
私の人生振り返れば逃げて
ばっかりです。


人生のターニングポイントで
必死で逃げてきたように思います。



中学時代、
小学校から
仲の良い女子グループと一緒に
そのまま地元の中学校に
あがりました。


けれども思春期に突入し
女子特有の締め付けのある
グループ行動が
嫌で嫌でたまらなくなって
いきました。



毎日「自分じゃない誰かになりたい」
そう思っていました。


当時の私を見ている人がいたら
きっとそういう風には
見えなかったと思います。


それなりに学校生活は
楽しんでいたし、
レギュラーに縁遠くても
放課後は毎日部活へ
行っていたからです。



でも実際は
仲のいい女子グループとは
私の意思ではなく、
「仲間」というルールが
優先され【常に一緒にいる】

という縛りで不安定な関係が
保たれてる事が
辛いと感じていました。



固定された複数の友達で
毎日一緒に
居たけれど
私の中で中学時代は
それこそ暗黒時代でした。


その事を背景に
「高校は、
同じ中学校の子が
誰一人としていない
学校へ行こう」

と決めました。


そうやって私にとっての高校進学は
逃げ道探しとなりました。


本当にただ同じ中学校の生徒が
誰一人として行かない高校


それだけの理由で
家から遠く離れた
高校を選びました。


そこまでしないと
自分自身が変われないと
思ってたからです。


しがらみのない場所へ
行きたくて

毎日必死に勉強して
進学校と呼ばれる高校へ
合格する事となったのです。


当時、私はあの環境から
離れる必要があって
結果、高校時代は楽園かと思うほど
遊びほうけ
楽しい時間を過ごしました。


中学校時代が暗黒なら
高校時代はバラ色でした。


小学校、中学校と
一緒だった女子グループの友達とは
今でも仲は良く、
連絡も取り合っています。


高校が遠かったので高校時代は
あまり会うことはありませんでしたが、

お互い大人になって車も
自由に使えるようになり
行動に制限がなくなってからは
時々時間を見つけては
会うようになっています。


中学生の時と同じように
そのまま女子グループの
友達と同じ高校へ
行っていたら、
今こうやって楽しく話せる
ような関係性ではなかった
と思います。


あの時思い切って離れたからこそ
今の良好な関係に
繋がっているのだと思います。



さらに私は結婚生活からも
逃げたようなものです。


でも今は自分の人生を歩めて
幸せを感じています。


逃げたければまずは逃げ道を作る


時間や余裕がなければ
逃げてから体勢を整えれば良い

今はそう思っています。



こうして自分の道を
歩めるようになって
初めて知ったのですが、


「自分の人生、自分の好きなように
生きて良い」という事実


嘘みたいな本当の話しです。

中学生の頃は友達と
一緒にいなければいけないと
思っていたし

離婚するまでは元夫と
子供の為に一緒いるべきだと
思っていました。


自分の人生は自分でしか歩めない、
逃げたければその場から逃げて
今とは違う道を歩いても良い事を
身をもって学びました。


高校生の時は
逃げる為に受験勉強をし、


子供を連れて自立する為に
物販を始め


会社組織からも逃げたくて
経営者の道へ進みました。




【嫌な事を避けることで
新しい世界が広がる】


そう思えれば、逃げ道を作る事も
恥ずかしい事じゃなく役に立つ事だ
と思えるのではないでしょうか。


シングルママ事情ぶっちゃけます

シングルママだけど
一人じゃない。



私は決して全てを一人で
こなしているわけでは
ありません。



周りの人に大いに
頼っています。



経営者仲間に実母
ママ友達や昔からの友達



あと家電にも笑



子育てもビジネスも
となると一人でやるなんて
至難の技です。



子育てだけでも
一人でやらない方がいい



ビジネスも一人だけでは
やらない方がいい
(協力者とか外注さんとか)


と、シングルになって
一人社長になって
実感しています。




人の1日は
24時間しかなくて


体も一つです。



1日を使って
やれる量も必然的に
決まってくるわけです。



まず整えるべきは
ジビネスにまつわる
ノウハウや有料ツール
ではなくて


子供をみてもらえる
環境作りが何よりも
最優先です。



もちろん、旦那さんのいる方は
旦那さんとの連携プレーを
土台にしないと



何も回らなくなって
しまいます。



そこをすっとばして
しまうと
心か体かを壊してしまいます。



やりたいことも
やらなければいけないことも
数多くある中で
一人で初めてしまおうとは
思わないでください。




まずは周りからの
サポート作りを最優先に。



私の場合は子供達自身の
協力も大いに役立っています。



子供達自身で
朝起きる事から始まり
歯磨き
お風呂
お着替え
服選び

お弁当をカバンへ入れるのも
お弁当の汚れ物を帰ってきたら
入れるのも

水筒の準備も
水筒の片付けも
   ・
   ・
   ・

ここへ書いたらキリが
ない位の事を
彼ら自身でやってもらう事で
だいぶ私の負担は
軽減されています。



それが家族なんだと
私は思っています。


子供も私も
出来ない時ややりたくない時は
やらなくても良い


調子が悪い時は休めば良い



その環境作りも
周りの協力あってこそなのです。



「周りに誰もいないよー」
という方は行政に頼りましょう。



行政のサービスで
子供の預かりを
してくれます。



お金は出ますが
稼ぐ金額や自分の
心や体の健康価値
を考えたら
必要経費な額だと思います。



出来るだけ多くの
協力者を得ることが



これから
目の前に道(未知)を
作っていくための
最初のスタート地点
なのだと私は思います。




「離婚」という選択肢は正解なのか?

依存できる人に依存するのは
幸せな事だと思います。




誰かに依存出来る事は良い、
でもただ誰かへの依存があなたの
制限になってはいけないと
私は思います。




私はかつて勘違いをしていました。




「母親なのだから子供の為に我慢しなさい」


母親になったのだから
子供を生んだ一つの条件として
「我慢」して生活を続けなさい



それはなぜか美徳として
いつの間にか染み付いていた
一つの価値観でした。



心は「苦しい」って
何度も何度も悲鳴を
あげていたのに。




それでも「子供の為に」
という蓋が感情に
覆いかぶさっていて



わけも分からない重さが
体中に心の中に
降り積もっていきました。



でもそれに
気づかないふりを
続けていました。



気づかないふりを
続けた結果、
ふと気づいた時には



もう重しを持ち上げる力は
残ってはいませんでした。



そうして私の心は
仮死状態となり



暑さも寒さも
喜びも悲しみも



何も感じる事が
出来無くなっていました。



何も美味しくない
何も楽しくない



直立不動で立っていないと
全てが崩れていくんじゃないかって、



だから何も感じないふりを
続けていました。




何かを話せば
怒られ
何か行動すれば
怒られ



気にくわないことがあると
理由も話されず無視され続ける



小さな箱の中に
入れられたように
出口もなければ
逃げ道もない日々でした。



だから、
膝を抱えて
うつむいて


私の周りにある
箱の存在に
気づかないふりをしているしか
選択肢がなくなっていたのです。



この箱の中から出る事は



子供達から「父親」を奪うこと
子供達から輝かしい未来を奪うこと
子供達の心を傷つけること



家にいることが
苦痛で苦痛でしょうがなかった
としてもその箱を開ける恐怖を
選べずにいました。




私が日々考えていたことは
「殴ってくれたらいいのに」
ということ。



「いつか殴られるんじゃないか
いつか殴られるんじゃないか」



と相手が怒るたびに
お酒を飲むたびに
恐怖を感じ続ける生活が続くよりも



暴力を受けて
お終いにしたかったのです。


実際に相手にも
「毎日怖くていっそ殴ってくれた方が
よっぽど良い」
と伝えたこともあります。



母親が「(誰かと付き合う時は)
一発でも殴られたら別れなさい」



と昔から言っていたから
かもしれません。



殴られさえすれば
この箱から出られる
そう思っていました。




でもそんな日が来る事はなかった。



だからすごく怖かったけど、


やっぱり立ち上がろうと
何度も諦めようかと
思いながらも



立ち上がるべきだと思い
少しずつ
本当に少しずつ行動を
していきました。




何度選択を変えても良い
立ち止まって
振り返ってみても良い



自分の気持ちが楽な方へ
幸せになれる方へ
足を向けて



進めていければ
それだけで
花丸なんだと思います。



人生は続いていくから。






別居して1年が経ちました。


行動する前は
子供達にとって
「離婚」
という決断が良かったのか
悪かったのか



その答えは死ぬ直前まで
分からないんだろうなって



思っていましたが、
今こうなってみて思う事は



自分に正直に生きて良かった

ということです。



ただそれだけは正しかったと
子供達にも責任もって
胸を張っていこうと
思えるようになりました。

増税前の駆け込み需要ならぬ!   駆け込み 離婚!!


急展開にて【離婚成立】しました



裁判まで見越していたので本当に驚きましたが、
あれよあれよと「調停離婚」が
この度成立致しました。



子供達と共にリスタート(再出発)
していこうと思います。


皆さま今後も引き続きどうぞよろしく
お願い致します!

完全試合終了の鐘はまだ聞こえなかった

10代20代なんてパニック障害で
人生半分終わってたし


30代は結婚生活で
大クラッシュしてた。



でもまだ完全試合終了の鐘は
鳴ってなかったようで、


今子供達と一緒に暮らせてて
子供最優先で生活を送れてる。




子供の学校行事には全て
参加出来るし子供が体調を崩しても
側に居られる。



男性社会で雇用されてた時代があって、
311があって、モラハラを受けてた時期があって、

世の中に絶望したり

「もういいや」って諦めたり

思考停止になったりって。。。


そういう気持ちが本当によく分かる。


だからこそ、
【腐らずに諦めずにいたい】

って思う
気持ちを持っている人を
応援したいって心から思う。



気持ちが一番大事だから
その気持ちを持ち続けて欲しい、
その一端の力に少しでもなれたらって。


皆で腐らず生きていこう。


思い通りにならない部分は
どこかって事をきちんと理解すれば、


過度な期待やそれに伴う
不安感もなくなって、



「じゃーこれからどうやって
前に進めば良いかな?」


って建設的な思考になれるはず。



明日への希望が持てる事って
本当に素晴らしい。



生きてくから
これからもきっと生きていくから
前向きがやっぱり良いんだよね。



楽観的でなくて建設的であるべきだと。



私はそう思っています。