子供自身が「稼ぐ」手段を知っているということ

親の経験はそのまま
子供の知識になります。

我が家の子供達は
年末の大掃除で出た不用品を
子供達自ら「ネットで売る!」
と言って
出品して稼いでいました。

最初は全額を渡していましたが、
お金の価値を分かっていない所が
見えたので、それはやめました。
今は彼らの働きによって、
取り分の比率を変えています。

フリマアプリでの手順は
1、写真を撮る
2、説明文を書く
3、梱包する
4、発送する
5、その他(顧客対応)
になりますが、
彼らがやりたい所だけ
今はさせていて
どの作業をやったかによって
手取りの配分を決めています。

何もやらなくても
商品(不用品)を提供したということで
最低20%は手元に入ります笑

上の子はほぼ全部自分で
出来るようになっています。

小学3年生の下の子は
写真撮影とサイズの採寸位ですが、
それらも
「生きた算数」になっています。

販売額から販売手数料と配送費が引かれ、
そこから(最低)20%が取り分になる

など、子供達に説明し
子供達自身に計算式を書かせて
取り分の計算と値決めをさせています。

ビジネスの原理原則は同じなので、
この感覚はもっと彼らが大きくなった時に
不動産や経営などにも活かせる能力となるはずです。

子供達は、
外からお金を稼ぐ手段を
こうやって覚えていっています。

今では普段から
これは売れるのか?売れないのか?
という視点を持つようになりました。

物を綺麗に扱えば
売れることも学んでいます。

お金は生活に直結します。

元夫はお金の話しをすると
「金の亡者」と言って
私のことを罵りました。

私はそうは思っていません。
お金に対するイメージの悪さは
稼ぎ方を知らないのと
お金とは何か?ということを
知らないからだと思っています。

彼らが不用品を出品することで
汚いお金が手に入ったのでしょうか?

私は「NO」だと思っています。
物を綺麗に使い
それをゴミ箱へ捨てるのではなく
次の欲しい人へ渡していく。

その一連の中にも労働が
入ってきています。
(先ほど書いた作業など)

労働が伴うのですから、
対価として受け取った
正当なお金です。

そのお金で
また自分の欲しい物や経験を手に入れ
自分の生活を豊かにしていくのは
素晴らしいことだと思います。

これらの発展系が
新しい価値のあるものを
世の中へ提供する、
だと思っています。

なのでお金が沢山ある人は
人の感謝の数がそれだけ多いということだと思っています。

無料で提供しろ!というような人は
人から搾取しているだけです。

無理矢理脅してお金を
取り上げるわけではありません、
誰かの労働に対して
欲しい人が気持ちよく
お金を払う、
そしてそのお金を受け取ること。

これを「稼ぐ」こと、
と私は思っています。

子供達も
小さい頃から
「稼ぐ」手段を知っていれば
この先
もし私に何かあったとしても
選択肢を狭める必要がないことに気づけると思います。

またやりたいことが見つかった時に
道は沢山あることも
彼らはきっと理解するはずです。

「稼ぐ」ことだけでなく
自分の生活(料理など含む)を
自分で何とかすることが出来れば
(学校の成績関係なく笑)
どんなことがあっても
逞しく育っていけるのではないかと
思っています。

物販について詳しく知りたい場合は
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8.2%の女性経営者の割合を上げていく為に情報公開

これまでの過去記事は
ココのブログサイトから
見ることが出来ます!

そして今回新たにブログで
実装しているのが
画面の右下にピンク色の吹き出しマークが
出るようになっています。
(ブログ以外でも色んな場面で出てきます。)

その吹き出しから
私に直接メッセージが送れます。


疑問に思ったことや質問、
感想など
お気軽に送ってください。
お返事致します。


また今後のココの活動目標は
「女性経営者の割合を上げる!!」
ことにあります。

2022年時点での女性経営者の割合は
なんと!8.2%です。

年々上がってきてはいるものの
まだまだ一桁台。


これでは、
女性の働く立場が改善されず
厳しい現状が続くのは
火を見るよりも明らかですね。


日本で大手企業に勤めるよりも
年商数千万円の中小企業の
経営者の方がお金の自由があります。


女性経営者がもっともっと増えていけば
働く条件ももっと向上していくはずです。


世の中が変わって
後から変わっていくのが国なので、
まずは女性経営者の母数を増やすことだと思っています。


そこで私の辿ってきた道を
公開していこうと決めました。

現在の状況そして
今後の予定は
下記(画像参照)の通りです!

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気になる所はありましたでしょうか?
コメント欄でも良いので気軽に教えて下さいね!


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【我慢】を終わりにする方法⑤ 〜きっかけは小さくても人生は大きく変わる〜

私が目に見えて稼げるようになっていくと
(元)夫も
「ココに出来るとは思わなかった」
と、私を肯定する
驚くような発言まで出てきました。

私は少しずつ
自分の出来る範囲で
「物販」を積み重ねていき

結果が伴っていくことで
自信を取り戻し
稼ぐことの苦労も
楽しさに変えることが出来ました。

閉鎖空間で子育てをしていた
私には、
「物販」に取り組むことで、
外との繋がりが出来ました。

(元)夫の私に対する評価も変わり、
素直に良かったことだと言えました。

ただそれでも
このまま
私たちが一緒にいることは
「お互いにとって良い方向に向かう」
と、思う事が出来ませでした。

(元)夫といると
どうしても
私は「ダメな人間なんだ」
という思いが湧いてきて、
劣等感を感じてしまい
その状況が変わることはありませんでした。

一緒にいることが
負の循環になっていたので、
結果としては「離婚」となりました。

けれども
お互い離れたことで子供達に
仲違いしている両親の姿を
見せることがなくなりました。

実は別居をして
夫婦喧嘩がなくなった
だけでなく、

初めて子供達の
心の声を聞くことが
出来たのも
一つの大きな出来事でした。

別居後(元)夫と会う
初めての面会の前日

子供達から
「明日は一緒にいかないの?」
「面会中(夫が)怒ったらどうしよう?」

などと不安の声が上がったのです。

別居をするまでは
そんな風に子供達が
(元)夫について
言ってきたことは
一度もありませんでした。

なので子供達が
本心では(元)夫に対して
緊張や恐怖心を
抱いていたことに
気づきませんでした。

同居していた時には
私たちが
喧嘩をしないように
気を遣い、隠していたのだと思います。

子供の為に離婚を
躊躇っていたはずが
ここまで
子供達の心にも
影響があったのかと思うと
申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

それでももちろん
子供達は親が好きです。

最初の面会は
緊張の連続だったようですが、
私たちが離れたからこそ
(元)夫の怒りを買うこともなくなり
感情が荒ぶることもないようで

今では同居してた時よりも
子供達もとても楽しそうに
会いに行っています。

(元)夫は
離婚調停の時は
「親権は渡さない!!」
と言っていましたが、

離婚した今では、
月に1回の面会でも
趣味の活動が入っていれば
そちらを優先し、
予定より早めに
子供達を帰す程です。

(元)夫が面会日を忘れたことも
ありました。

望めば面会の回数を増やす事も
伝えていますが
要求がないので、
このペースで子供達と会えることに
満足しているようです。

また(元)夫は
自由に
お金を使えるので
好きな車や服などを
買っている様子を見ると

日々、子供や私に対して
イライラすることもなくなり、
子供達とも会える、
今の暮らしは
(元)夫にとっても
良かったのだと思えます。

あのまま無理矢理一緒にいて
傷つけ合いながら
「家族」を続けなくて
本当に良かったと
思っています。

私としても
ビジネスだけでなく
子育てでも
経営者の彼は、

常に「子供達にとって
何が一番良いのか?」
を一緒に考えて決断してくれるので、
毎日心が楽です。
(もちろんキレたりしません。)

何より家が
私や子供達にとって
安全地帯になりました。

最初は、
お小遣い稼ぎから
スタートした「物販」ですが、
ここまで大きく
私の人生を変えることになりました。

「人に嫌われるのが嫌だ」というのが
原動力になっていた私が、
物販を始めて
「人に感謝されること」が
原動力に変わりました。

人に感謝されながら
お金を稼げるのは
自分の人生を自由に生きる
手助けになります。

私の場合はたまたま
「物販」でしたが、
家でも作業が出来
時間の融通が効くので
専業主婦だった
私とは
相性がとても良いものでした。

元手ゼロから始められて
自分の人生を取り戻す手段となりました。

人がいれば物は動く
人と繋がれば
お金が動く

もう「我慢」することを
卒業しませんか?

自分の未来を作れる方法は
思っているよりきっと沢山あります。

「我慢」する時間を
自由な未来にする為に使って欲しいと思っています。

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【我慢】を終わりにする方法④  〜「ありがとう」の破壊力!〜

「ありがとうございます!!」
これは物販をしていて
購入者の方に
何度も言われるようになった
言葉です。

人に感謝されること
人の役に立つこと

これは「物販」を始めて
私が感じ取れた事でした。

私自身が
「生きている価値なんてない」って、
そう思っていた
結婚生活の中で

人に感謝される。

それは
私にとって
すごく励まされ、
そして自分を肯定できる
瞬間でもありました。

私に出来ることは
数少ないこと
かもしれない

けれども
誰か一人でもいい
その人の役に立てた!

その事実が
大きな支えとなっていきました。

もちろん、
生まれたばかりの
幼い子供達を
抱えて、新しい事に
取り組む事は
大変な事ではありました。

(元)夫には
当然のごとく
認めてはもらえず

「ココに出来るわけがない」
「商売なんて水物で上手くいくわけがない」
「そんな(ココの稼いだ)金なんていらない」

などと言われていました。

私がスマホを開けば
不機嫌になり

パソコンで
作業しようものなら
邪魔され

時間を見て夜中に作業をすれば
嫌がらせをされていました。

それでも
自分の能力を発揮できる場を
見つけた私は、
どんな苦労も
「物販」で人に感謝される事で
報われていきました。

さらに
感謝=売上が上がる
と、どんどん楽しくなっていき

日々のストレスが
「物販」に取り組む事で
解消されていきました。

当時から
「輸入販売なんて
もうオワコン」
と言われていましたが
私の売上は
瞬く間に上がっていきました。

銀行に記帳しにいくと
通帳の履歴を見た
銀行員に
「どんなお仕事をされているんですか?!」

と興味津々に
絡まれる程でした笑
(本当はタブーなんだと思いますが笑)

(元)夫がキレるたびに
私の中に溜まった負のエネルギーは
全て「物販」へ
向けるようにしていきました。

家事に育児に
(元)夫の意に従いながら
「物販」に取り組めたのも

「物販」自体が
私の未来を切り開く術だということが
分かっていたからです。

離婚を視野に入れている、
そう思っている人でも
心の中では

「出来ることなら離婚を回避すること」
そう思いながら
日々を過ごしていると思います。

私もそうでした。

それでも
子供達の安全や
子供達との関係性
自分の心の健康や
体の健康など

そういった
色んな要素を鑑みて

「今の夫婦の形のまま
一緒にいないこと」が
最良の決断だと
いうところへ
辿り着きました。

迷いながら、
悩みながらも
行動を起こす術を学ぶことは
とても大切なことです。

私自身ずっと
どうにか
「家族」をそのままにしておきたかった。

けれども

自分の思いつく
相手との関係修復への努力を
全てをやり尽くした時、

子供にとっても私にとっても
そして、いつも不機嫌な相手にとっても、
私たちは離れることが一番良いという
結論に至りました。

その中で、
まず私が出来る方法としては、
目の前の物販を続けて
安定的に稼げるようにすることでした。

私はそのまま起業し、
さらに
子供達との生活で
お金に困らないようにするためにと

投資用の不動産や株を購入し
ついに別居という行動に出ることにしました。

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【我慢】を終わりにする方法③  〜世間的に出来た夫と離婚できるのか?〜

子供のオムツ替えに
子供のお風呂
子供との外遊びに
ご飯作り

なんでもござれな(元)夫。

さらに安定した職業に
浮気もなし。

母にも
「浮気もギャンブルもせず
お給料をちゃんと
家に入れているのなら
上手く転がしていきなさい」

と言われていました。

そう、側から見たら
相当出来た夫だと
言われるのは、
分かっていました。

だからこそ、
誰にも分かってもらえない
理解されない
と思い
誰にも相談出来ず
孤独に陥っていきました。

家事も育児もやる夫と
いざ離婚となれば
親権が取れず、
子供達とも
一緒に暮らせなくなるかもしれないと
とても不安でした。

でも、
どんなに家事や育児をしていても

元夫は自分で料理を
作っている途中に
手順を間違えたり
焦がしたりすると
キレ始め、
あたり散らし

そのまま不機嫌な状態が
続いたり

子供のお風呂も
(元)夫が
先に入り
子供達を
後から呼ぶのですが、

その一言目で子供達が
来なければ
途端にキレ始めるので
何をしていても
一瞬たりとも気が抜けませんでした。

また子供達が車で
騒ぎ出すと
わざと危険運転をして
急ブレーキなどをかけたり。

たとえ100円均一の
物だったとしても
許可なく買おうものなら
キレて壊しました。

気に食わなに何かがあれば壊す、
それは子供の
おもちゃでさえもターゲットになりました。

お気に入りのおもちゃで
遊ぶ子供達から
おもちゃを
取り上げて、
目の前で破壊するといった

心に打撃を与えることを
躊躇なくしていました。

とにかく
日々の出来事で
すぐにキレ始め

物を壊したり
大きな音を立てたり
私たちを
遠出した先で
そのまま置き去りにしたり

不機嫌な理由を
明確にしてもらえずに
無視をし続けたりしていました。

また私が泣くと
さらに不機嫌さがエスカレートするので、
泣くことも出来ず

どんな感情も表現することが
出来なくなっていきました。

「(俺を)怒らせる
ココが悪い」

と言われ

ずっと「私が悪い」のだと
思い込み、

どうすれば
(元)夫が怒らないで
1日が過ごせるのかと
そればかりを考え

萎縮した生活を
送っていました。

私が言い返せば
さらに状況は悪くなり

寝ている間に
キャッシュカードや
クレジットカードなど
金目のものは全て
取り上げられていました。

そんな状況で離婚を切り出せば
どんな仕打ちを受けるのかと
とても恐怖でした。

出来るだけ
揉めたくなかった私は、
「お金はゼロでいいから
親権だけ取れればそれでいい」と
思っていました。

けれども
離婚をしたら
精神的に疲弊するのは
間違いない中で、

さらに金銭的にも
困窮すれば
精神が壊れて
子育てどころではなくなる、

だから離婚しても
「お金の心配をすること。
それだけは
避けなければならない」と
考えていました。

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【我慢】を終わりにする方法②  〜自分の想いと世間とのズレ〜

思い出したくもない
様々な辛い出来事、

私の結婚生活。

結婚が決まると

私の友達も相手(当時の夫)のことを

「怒らなさそう」

「穏やかで
優しい人で
良かったね」
と。

また(元)夫の友達も
「○○○(元夫)は
本当に優しいから
良かった」

と。

周りの友人達から
口を揃えて
そう言われていました。

私自身もそう思っていました。

けれども現実は
違いました。

結婚式の前夜から
(元)夫が泥酔しては
暴れる行為が始まり

無視や
破壊
暴言など

結婚生活を重ねるのに反比例して
その行為は
エスカレートしていったのでした。

今では
SNSなどで頻繁に
見かけるようになりましたが、

当時の私は「モラハラ」
という言葉を
知りませんでした。

幼い時から
「我慢」をすることで
人間関係を
解決してきた私にとっては、

相手の言うことを飲むことが
【平和的な解決方法】だと
そんな風に勘違いをしていました。

自分にも責任がある
自分にも非がある

だから
相手が言っていることは
その通りなのかもしれない。

そんな心理状態でした。

けれども
だんだん
私が「YES」と答えようが
「NO」と答えようが
(元)夫はキレだすようになっていきました。

家庭内の悩みなんて
そう簡単には外には言えないものです。

私自身が
「自分が出来ないことで
相手を怒らせている」と
思っていた事もあり、

なかなか
人には相談出来ない状況でした。

離婚した後
数年ぶりに会った友達には
当時の私のことを

「私が悪いんだけど、
私が悪いんだけどって
よくココ言ってたよね」

と言っていました。

自分ではそんな事を
言っていた自覚はなかったので、
それを聞かされて
すごく驚きました。

(元)夫が日常的に発狂したり
物を破壊したりしていたことなど、

同時の事を今思い出しても
胸がキューーっと苦しくなります。

それでも、
「自分のわがままで
子供達から
父親を奪っていいのか?」

「この子達の人生に
私の決断が大きく左右することになってしまう。
それでも踏み出して良いのか?」

私一人なら
別れられるけれども
「子供達に悲しい想いをさせても良いのか?」

「離婚」を考えると
その自責の念が
頭の中をぐるぐると回り
決断できずに苦しくなっていました。

たくさん悩み、
実際に行動するまでに
長い時間がかかりました。

本当は、
私が「離婚」する状況を許さないのではなく
世間が許さない。

周りの人たちの価値観が
【「離婚」を良しとしない】
という事に
その時は気づいていませんでした。

離れてみて
やっと
周りの環境が変わり
そばに居る人が変わり

当時の自分のことを
冷静に見れるようになり、
私の考え方は180度変わることが出来ました。

自分が「我慢」すれば
いずれ周りの環境は(良い方に)変わる
当時の私は
そう思っていましたが
そんな事はありませんでした。

極限まで「我慢」した結果は、
自分の心が壊れ
身体も壊れる事になりました。

実際は、
一日でも早く今とは違う行動を起こす事が
一番の改善策だったのです。

そんなブラック(モラハラ)夫から
脱出する為に
私が取り組んだことのお話しを
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【我慢】を終わりにする方法①  〜始まりは子供時代から〜

「ココに出来るわけがない」
当時の夫にそう言われ続けて

(自分には何も出来ない)

そう思う日々を過ごした
私の30代結婚生活。

これはそう、
今思えば
結婚生活からがスタートではなく
子供の頃から
続いていたことでした。

過干渉な母には、
蔑まされたり
脅されたり
あの手この手で言葉巧みに
恐怖心を煽られ
支配され続けていました。

そんな家庭内では
兄も自暴自棄になり、

父は、
子供の問題も母に全て責任転嫁し
常に不機嫌で、
夫婦仲の悪い家庭でした。

そうやって
子供の頃から
自我を抑え
「我慢」することが
基本だった私は

結婚した後も
「我慢」することが当たり前
と、思い込んでいました。

実際、離婚する意思を
兄に切り出した時は
「お前の我慢が足りないんじゃないのか?」と
開口一番に言われ、落胆しました。

自分自身の気持ちを
大切にすることや

自分で自分を
労ってあげることも
分からなかった子供時代、
そして結婚生活。

夫に暴言を吐かれ
キレられ
家を締め出されても

自分の尊厳を
自分で守れなかったのは、

幼い頃から「我慢」するのが当たり前という
価値観が私自身に
根付いていたからだと
離婚して時間が経ち、
今やっと気づくことが出来ました。

たった数年前まで
そこに居た私。

相手(当時の夫)が変わることを
望んでいて

NOを突きつけるという決断を
思いつきもしなかった過去の私がいます。

その時はとても苦しくて
だけど、
どうやったらいいのかも
全く分からなくて

どんどん心が追いやられていきました。

でも、そんな中でも
行動した結果

今では、オリジナルブランドを
2つ手がけられるようになり、
そのうちの一つは海外展開を
視野に動くまでになりました。

愛車も
結婚していた時は
(夫名義の)
40万円で購入した
中古車でしたが

独立起業し、
資産を築き
離婚してからは
自分で選んだ
お気に入りの新車を購入

さらに法人7期を機に
ずっと憧れていた
ドイツ車にも買い替えました。

また結婚していた時には
通わせたくても
当時の夫の反対に加えて、

経済的なこともあり
通わせることが出来なかった
インターナショナルスクールに
子供達を通わせることも出来ています。

ホテル宿泊しながらのママ友会に
同じ経営者の彼や子供達とのゴルフ生活
も送れるようになりました。

シングルマザーとなり
それこそ何の後ろ盾もなっくなった今でも
事業融資だけでなく、

数千万の投資用不動産決済が
あっさり銀行からもおりています。

それも、金利上昇傾向に向かっている昨今、
さらに金利を下げた形での融資決済です。

一人社長で小さな会社にも関わらず
支店長が変わったタイミングで
挨拶に来てもらえるようになり、
新たな不動産案件まで
銀行が持ってくるようにもなりました。

私は、ずっとそんな生活をしてきた
わけではありません。

文頭にも書きましたが、
元々、私には何もありませんでした。

資産や人脈、夫からの愛情
それどころか
自分への尊厳すら。

それでも、
全てにはきっかけがあります。

人生には様々な
分岐点があります。

私が始めたことは
宝くじを買って
一攫千金を当てたわけでもなく、

大金持ちの
パトロンがついたわけでもなく

慰謝料や財産分与で
大金を手にして
夫と離婚できたわけでもありません。
(むしろゼロです)

「我慢」する生活を
手離す覚悟を持ったら、
新しい生活が
手に入ることになったのです。

今回は、同じような悩みを
抱えている人に届くように想いを込めて

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追伸:大それたことでも
何んでもないけれど、
「無職だった私が
一体何をしてきたのか?」を
あます事なくお伝えさせて頂いています。

何かしたいと
うずうずしている人に少しでも
お役に立てたら幸せです。

一人でも多くの女性が
理不尽な環境に潰されずに
自分の人生を取り戻す
きっかけになれたらと思います。

2023年、私が新しく取り組んだこと

年が明けて新しいことに
取り組んだ人も多いと思います!

新しい年になり私が始めたことは、
ずっとやりたかった
安全な野菜作りです!

ご縁があり
小さいですが
「畑」を借りることが
出来まして、
農業にチャレンジしています。

実際にどの位出来るのか
分かりませんが、
今は、酸度計を買って
土づくりから始めています。

食糧危機が来ると言われて
久しいですが、
確かにそのことについての
対策の意味もありますが、

もっとずっと違う意味での
私の「畑」への憧れは、
子供の頃の幼い記憶に
関係しています。

私は田舎の
一軒家に住んでいたので
庭があり、
これまた小さいですが
「畑」がありました。

そこでの土いじりの記憶や
人参を掘り起こした時のことが
温かい記憶となって残っています。

正直、家庭内不和で育った
私には家庭の温かい記憶が
ありません。

だけど、土を触っていた時の
感情はとても温かい気持ちだったと
記憶しています。

小学校高学年になる時には
父の兄弟が同じ敷地内に家を建てたので
「畑」はなくなりました。

なので、実際に人参を掘り起こしたのは
その一回きりだったのかもしれません。

でもいつかは
「自分で食べ物を作ってみたい」
「また人参を掘り起こす時の
土の温かさを感じたい」と
願っていました。

また、私が稼ぎたいと思った
きっかけには、
「子供達に安全な食べ物を
食べさせたい」というところから
スタートしているので、

私のビジネスの
原動力の根本には
いつでも「食」が
深く影響しています。

無農薬野菜は
日本ではまだまだ高価です。

それでも子供達の体には、
出来るだけ
科学薬品が入っていかないようにしたい

その思いで
値段のはる
無農薬食品が
買いたくて
「物販」に興味を持ったのが
最初です。

その後、思わぬ方向で
「物販」が私の人生を大きく
変えていくきっかけになるのですが。

明日からは
人生で我慢し続けてきた私が
「我慢」を終わりにした方法を
お伝えしていきます。

【息を引き取ったって聞いて、会いたい気持ちが溢れてくる残酷さ】

今の気持ちを綴らないと
吐き出さないと
どんどんやってくる
彼女との思い出や
後悔の念を上手に消化できそうになくて。
 
そして彼女の生きた証が
少しでも残って欲しいから
そのままを書き残しておきたい。
 
これは私から彼女への
ラブレター。
 
彼女は再発の癌だったけれども
いつも生き続ける事を
強く信じていた。
 
その強さや言葉に
私も
「きっと彼女なら回復する」
そう思って
疑わなかった。
 
だから彼女からのLINEで
「春になったら
会えるようになっていると思う」
 
という言葉も
「腫瘍マーカーが正常値になった」
という言葉も
 
ずっと前向きに捉えていた。
 
そしてここからは
私の後悔。
 
それを聞いて
「もう大丈夫」
と思った私は
 
人への気遣いをする
彼女の回復の邪魔にならないようにと
それまで頻回に体調の様子を
聞いていた連絡を
控えるようにしていた。
 
だからこそ
彼女が亡くなった事実に
すぐには気づけなかったし
まさかもう会えなくなるなんて
想像もしていなかった現実が
突然やってきた。
 
彼女がどんな
最期だったのか
私は知らない。
 
コロナでお見舞いが
禁止されてたりして
一人じゃなかったかな?
私が連絡を控えたことで
寂しさを感じたりしなかったかな?
と、その事が気がかりでしょうがない。
 
11月遠方に住む
彼女に会いに行った時も
放射線治療をしたばっかりで
体調がよくなかったので
会うことが出来なかった。
 
だから長い間
LINEだけで
彼女の表情や
実際の様子を私は見ていない。
 
(亡くなってから知ったのですが、
その時の
彼女は車椅子でもう歩けなくて
痩せていたそうです。)
 
そんな事も知らずに私は、
また会いに行こう
と、思っていたし
また会える
と、思っていた。
 
だから「また今度ね」
と、その時は言っていた。
 
それからも
元気になったら
あのお店にランチに行こう
一緒にまた旅行しよう
女子会を企画しよう
って想像しながら
過ごしていた。
 
大人になってからは
友達はなかなか出来ない
というけれど
 
本当にその通りで、
私が大人になり
経営者になり
 
何の縛りもない中で
出来た数少ない
同じ女性経営者、
同じ志を持った友達だった。
 
毎日ってほど
連絡を取り合ってた時期もあった。
 
彼女に嫉妬して
冷たくしてしまった事を
謝ったこともあった。
 
ビジネスの話しも
投資の話しも
恋話も
人生観も
 
たくさん話して
たくさん共感するところがあって
本当に大好きだった。
 
彼女の訃報を聞いてから
彼女と行った旅行で
大笑いしたあの笑顔を
何度も思い出す。
 
会いたい、辛い、悲しい。
そして悔しい。
 
皆さんの大事な人に
後悔しないように
連絡して下さい
 
なんてありきたりな事は
言えなくなりました。
 
きっとどんな
最期でも
大事な人を失うと
後悔するものなんだ
という事を
私は今回学んだからです。
 
人の命はとても尊い。
 
今でも一緒に
もう一回笑いたいと
願っています。
 
そして一緒に
どこかに
出かけたいと
願っています。
 
もう一度
会いたいと
願っています。
 
もう届かなくなってしまいました。
 
彼女は余命宣告される位の
癌ステージだったけど
いつも
びっくりする位
自分が「生きる」未来を
真っ直ぐ見ていた。
 
私も同じ未来を
見ていたと
思っていた。
 
だから正直とても悔しいです。
 
この世から
癌で亡くなる人がいなくなる日が来ることを
心から願っています。
 
彼女のご冥福をお祈り致します。
 
※写真は彼女と行った宮古島のホテル。
海に行きたいね。

【ココさんは今幸せですか?】

「ココさんは今幸せですか?」
と、音声相談の時に
ご質問頂くことが多々あります。

意図としては、
恋愛面の話しではなく
起業して莫大な借金をして
離婚を経験したからこそ

思い切った決断に
対しての

「今幸せですか?」

と言う質問だと
解釈していますが、

一言で言うと

「今やっとすごく幸せです!!」。

親の元にいた
10代の頃までは
過干渉な母と
抑圧的な父

そして夫婦仲は不仲で
常に喧嘩していて、

実兄とも
私は仲が悪く

家の中に居ることが
苦痛で中学生の頃から
家出を真剣に考えていました。

小さい頃から
泣くことを禁止され
時々祖父が
苦笑いしながら
語るのですが、

幼かった頃の私は
泣いたら
目の中に指を突っ込んで

ちびココ「泣いてない
泣いてない。これは涙じゃない」

と必死に涙を
止めようとしていた
そうです。

(私にはその記憶は
ないのですが
親が常に怒っていたという
記憶はあるので
正直、想像ができます)

その後
高校生の時に
パニック障害を発症
しましたが
誰にも打ち明けられず
センター試験さえも
受けられませんでした。

パニック障害も
快方に向かっていますが
いまだに暗い所や
狭い所、
自由に外に出られない場所
(飛行機など)では
とても緊張します。

長い間原因も分からず
恐怖に怯える日々を
過ごし、
若い頃は早死に願望が
強かったです。

30代は
結婚、出産を経験しました。

自分の親を反面教師にし、
「穏やかな生活を」
と結婚生活をスタート
させたつもりでしたが、

いつの間にか
相手の機嫌を気にし、
常に罪悪感を感じつつ
自分の感情に蓋をするような
生活になっていました。

洗濯機を回せば夫の機嫌を損ね
朝起きられなければ物に当たられ
私の大事な物は容赦なく捨てられ
喧嘩をすれば
「今すぐ出て行け」と
現金になるものは全て取られ
家の外にも追い出されました。

ある時は
お祭りの帰りに車に乗せてもらえず
幼児二人を連れて
慣れない土地で
夜道に上の子の手を引き
下の子を抱っこして
歩いて帰ってきた事もあります。

幼い時から
自分の感情に蓋をしていた私は
自分が我慢をしている事に
気ずいてさえいませんでした。

目の中に指を入れて
涙を堪えていた時と同じように
心の中の痛みを
ずっと押し込めていました。

それから体も心も壊れて
やっと我慢をしない生活を
送ることを考え始めます。

そこからは
自立する為に不用品を
売ることから始めて
物販に取り組み

大きなお金を
動かす為に起業、
そして融資にも
トライし
投資用の不動産を購入、

それから
別居を決断して
調停離婚を経て
現在は子供達と暮らしています。

そして今では
同じ経営者である
男性パートナーとも
一緒に暮らしています。

彼は私の横で一緒に
歩んでくれます。

上や下もなければ
コントロールするような事も
ありません。

二人で一緒に
子供達の事を考えて
ビジネスについても
お互いの意見を
話し合います。

とても穏やかで
私が私の感情のままに
生きていけるように
なりました。

もう目の中に指を入れて涙を
堪えたり
自分の素直な感情に蓋をしたり
するような日々も
なくなりました。

40歳になって
やっと自分の人生を
自分自身で歩めるように
なった気がします。

いい夫婦の日

と言う事で
自分の家族について
振り返ってみました。

幼い時は両親の顔色をうかがい
結婚したら夫の顔色をうかがっていた
数年前までの私。

わがままに生きる事は
いけない事だと
思っていました。

自由に生きてはいけないと
思い込んでいました。

自分の事を
受け入れられない長い年月を
過ごしてきましたが、

小さな「大丈夫」を
重ねて
今自分を信じる事が
出来るようになっています。

今後は、
世の中の幼い子供達
そして我慢を強いられている
女性達が我慢をしなくて
すむように
少しでも私の経験が
役に立てたらと考えています。

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