物販で、やめたら稼げるようになったこと3つ ♡その1

1、時間の無駄遣い
2、薄利多売
3、勘で仕入れる

今回は1の「時間の無駄遣い」
について書いていきます。

生活をしていると
沢山の「やるべきこと」が降りかかってきます。

子育てをしていたら、
✖️(かける)子供の人数分
やることが増えます。

時間を削れる部分に
時間を使っていると
他のことは何も出来ずに
1日が終わってしまいます。

生活、子育て、物販もやる
となると
自ずと時間配分を考えないと
全てが回らなくなって
いってしまいます。

私はまず
時間をかける所と
時間をかけない所に
分類しました。

全ての作業を外出せず
家で完結するようにすれば、
それだけ
往復の時間や
外に出るための様々な時間を
削ることが出来ます。

その為に
必要な資材の購入から始まり
梱包、発送などを
家から出ないようにする
仕組みを整えました。

顧客対応に関しても
事前に予測できるものは
全て雛形を作りました。

また長期のスケジュール
短期のスケジュールを組み
日々の作業で
「何をするのか?」を
毎回考える時間を使わないでいいように
するなど工夫していきました。

自分が使っている1日の時間で
削れる部分を知り
少しのお金で解決出来ることは
お金を使い
時間の確保を優先していきました。

「時は金なり」
この言葉そのものです。

作業量を増やすにも
時間が必要です。

1時間で出来る作業が10
だったとした時に
1日で1時間作業出来る人(作業量10)と
3時間作業出来る人(作業量30)とでは
当然、稼げる額は変わってきますね。

「時間の無駄」を
省いたことで
単純に自分だ出来る作業量が増え
稼ぐ事が出来るようになりました。

今回のまとめ
✅時間を削れる作業内容を把握する
✅実際に時間を削れるように仕組みを整える
✅お金を使って時間の確保をする


ブラック(モラハラ)夫から脱出する為に

私が取り組んだことのお話しを

動画にまとめました。

その3つの無料動画をプレゼント!

合計6日間に渡り

お伝えさえて頂きます。

お申し込みはこちらからお願いします!


【我慢】を終わりにする方法⑤ 〜きっかけは小さくても人生は大きく変わる〜

私が目に見えて稼げるようになっていくと
(元)夫も
「ココに出来るとは思わなかった」
と、私を肯定する
驚くような発言まで出てきました。

私は少しずつ
自分の出来る範囲で
「物販」を積み重ねていき

結果が伴っていくことで
自信を取り戻し
稼ぐことの苦労も
楽しさに変えることが出来ました。

閉鎖空間で子育てをしていた
私には、
「物販」に取り組むことで、
外との繋がりが出来ました。

(元)夫の私に対する評価も変わり、
素直に良かったことだと言えました。

ただそれでも
このまま
私たちが一緒にいることは
「お互いにとって良い方向に向かう」
と、思う事が出来ませでした。

(元)夫といると
どうしても
私は「ダメな人間なんだ」
という思いが湧いてきて、
劣等感を感じてしまい
その状況が変わることはありませんでした。

一緒にいることが
負の循環になっていたので、
結果としては「離婚」となりました。

けれども
お互い離れたことで子供達に
仲違いしている両親の姿を
見せることがなくなりました。

実は別居をして
夫婦喧嘩がなくなった
だけでなく、

初めて子供達の
心の声を聞くことが
出来たのも
一つの大きな出来事でした。

別居後(元)夫と会う
初めての面会の前日

子供達から
「明日は一緒にいかないの?」
「面会中(夫が)怒ったらどうしよう?」

などと不安の声が上がったのです。

別居をするまでは
そんな風に子供達が
(元)夫について
言ってきたことは
一度もありませんでした。

なので子供達が
本心では(元)夫に対して
緊張や恐怖心を
抱いていたことに
気づきませんでした。

同居していた時には
私たちが
喧嘩をしないように
気を遣い、隠していたのだと思います。

子供の為に離婚を
躊躇っていたはずが
ここまで
子供達の心にも
影響があったのかと思うと
申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

それでももちろん
子供達は親が好きです。

最初の面会は
緊張の連続だったようですが、
私たちが離れたからこそ
(元)夫の怒りを買うこともなくなり
感情が荒ぶることもないようで

今では同居してた時よりも
子供達もとても楽しそうに
会いに行っています。

(元)夫は
離婚調停の時は
「親権は渡さない!!」
と言っていましたが、

離婚した今では、
月に1回の面会でも
趣味の活動が入っていれば
そちらを優先し、
予定より早めに
子供達を帰す程です。

(元)夫が面会日を忘れたことも
ありました。

望めば面会の回数を増やす事も
伝えていますが
要求がないので、
このペースで子供達と会えることに
満足しているようです。

また(元)夫は
自由に
お金を使えるので
好きな車や服などを
買っている様子を見ると

日々、子供や私に対して
イライラすることもなくなり、
子供達とも会える、
今の暮らしは
(元)夫にとっても
良かったのだと思えます。

あのまま無理矢理一緒にいて
傷つけ合いながら
「家族」を続けなくて
本当に良かったと
思っています。

私としても
ビジネスだけでなく
子育てでも
経営者の彼は、

常に「子供達にとって
何が一番良いのか?」
を一緒に考えて決断してくれるので、
毎日心が楽です。
(もちろんキレたりしません。)

何より家が
私や子供達にとって
安全地帯になりました。

最初は、
お小遣い稼ぎから
スタートした「物販」ですが、
ここまで大きく
私の人生を変えることになりました。

「人に嫌われるのが嫌だ」というのが
原動力になっていた私が、
物販を始めて
「人に感謝されること」が
原動力に変わりました。

人に感謝されながら
お金を稼げるのは
自分の人生を自由に生きる
手助けになります。

私の場合はたまたま
「物販」でしたが、
家でも作業が出来
時間の融通が効くので
専業主婦だった
私とは
相性がとても良いものでした。

元手ゼロから始められて
自分の人生を取り戻す手段となりました。

人がいれば物は動く
人と繋がれば
お金が動く

もう「我慢」することを
卒業しませんか?

自分の未来を作れる方法は
思っているよりきっと沢山あります。

「我慢」する時間を
自由な未来にする為に使って欲しいと思っています。

ブラック(モラハラ)夫から脱出するために
取り組んだことのお話しを
動画にまとめました。

その3つの無料動画をプレゼント
させて頂きます!
(合計6日間)

お申し込みはこちらからです!!

【我慢】を終わりにする方法④  〜「ありがとう」の破壊力!〜

「ありがとうございます!!」
これは物販をしていて
購入者の方に
何度も言われるようになった
言葉です。

人に感謝されること
人の役に立つこと

これは「物販」を始めて
私が感じ取れた事でした。

私自身が
「生きている価値なんてない」って、
そう思っていた
結婚生活の中で

人に感謝される。

それは
私にとって
すごく励まされ、
そして自分を肯定できる
瞬間でもありました。

私に出来ることは
数少ないこと
かもしれない

けれども
誰か一人でもいい
その人の役に立てた!

その事実が
大きな支えとなっていきました。

もちろん、
生まれたばかりの
幼い子供達を
抱えて、新しい事に
取り組む事は
大変な事ではありました。

(元)夫には
当然のごとく
認めてはもらえず

「ココに出来るわけがない」
「商売なんて水物で上手くいくわけがない」
「そんな(ココの稼いだ)金なんていらない」

などと言われていました。

私がスマホを開けば
不機嫌になり

パソコンで
作業しようものなら
邪魔され

時間を見て夜中に作業をすれば
嫌がらせをされていました。

それでも
自分の能力を発揮できる場を
見つけた私は、
どんな苦労も
「物販」で人に感謝される事で
報われていきました。

さらに
感謝=売上が上がる
と、どんどん楽しくなっていき

日々のストレスが
「物販」に取り組む事で
解消されていきました。

当時から
「輸入販売なんて
もうオワコン」
と言われていましたが
私の売上は
瞬く間に上がっていきました。

銀行に記帳しにいくと
通帳の履歴を見た
銀行員に
「どんなお仕事をされているんですか?!」

と興味津々に
絡まれる程でした笑
(本当はタブーなんだと思いますが笑)

(元)夫がキレるたびに
私の中に溜まった負のエネルギーは
全て「物販」へ
向けるようにしていきました。

家事に育児に
(元)夫の意に従いながら
「物販」に取り組めたのも

「物販」自体が
私の未来を切り開く術だということが
分かっていたからです。

離婚を視野に入れている、
そう思っている人でも
心の中では

「出来ることなら離婚を回避すること」
そう思いながら
日々を過ごしていると思います。

私もそうでした。

それでも
子供達の安全や
子供達との関係性
自分の心の健康や
体の健康など

そういった
色んな要素を鑑みて

「今の夫婦の形のまま
一緒にいないこと」が
最良の決断だと
いうところへ
辿り着きました。

迷いながら、
悩みながらも
行動を起こす術を学ぶことは
とても大切なことです。

私自身ずっと
どうにか
「家族」をそのままにしておきたかった。

けれども

自分の思いつく
相手との関係修復への努力を
全てをやり尽くした時、

子供にとっても私にとっても
そして、いつも不機嫌な相手にとっても、
私たちは離れることが一番良いという
結論に至りました。

その中で、
まず私が出来る方法としては、
目の前の物販を続けて
安定的に稼げるようにすることでした。

私はそのまま起業し、
さらに
子供達との生活で
お金に困らないようにするためにと

投資用の不動産や株を購入し
ついに別居という行動に出ることにしました。

私が実際にどうやって今のような生活に辿り着いたのか。
ブラック(モラハラ)夫から脱出するために
取り組んだことのお話しを
動画にまとめました。

その3つの無料動画をプレゼント
させて頂きます!

合計6日間に渡り
お伝えさえて頂きます。

お申し込みはこちらからです!!

【我慢】を終わりにする方法③  〜世間的に出来た夫と離婚できるのか?〜

子供のオムツ替えに
子供のお風呂
子供との外遊びに
ご飯作り

なんでもござれな(元)夫。

さらに安定した職業に
浮気もなし。

母にも
「浮気もギャンブルもせず
お給料をちゃんと
家に入れているのなら
上手く転がしていきなさい」

と言われていました。

そう、側から見たら
相当出来た夫だと
言われるのは、
分かっていました。

だからこそ、
誰にも分かってもらえない
理解されない
と思い
誰にも相談出来ず
孤独に陥っていきました。

家事も育児もやる夫と
いざ離婚となれば
親権が取れず、
子供達とも
一緒に暮らせなくなるかもしれないと
とても不安でした。

でも、
どんなに家事や育児をしていても

元夫は自分で料理を
作っている途中に
手順を間違えたり
焦がしたりすると
キレ始め、
あたり散らし

そのまま不機嫌な状態が
続いたり

子供のお風呂も
(元)夫が
先に入り
子供達を
後から呼ぶのですが、

その一言目で子供達が
来なければ
途端にキレ始めるので
何をしていても
一瞬たりとも気が抜けませんでした。

また子供達が車で
騒ぎ出すと
わざと危険運転をして
急ブレーキなどをかけたり。

たとえ100円均一の
物だったとしても
許可なく買おうものなら
キレて壊しました。

気に食わなに何かがあれば壊す、
それは子供の
おもちゃでさえもターゲットになりました。

お気に入りのおもちゃで
遊ぶ子供達から
おもちゃを
取り上げて、
目の前で破壊するといった

心に打撃を与えることを
躊躇なくしていました。

とにかく
日々の出来事で
すぐにキレ始め

物を壊したり
大きな音を立てたり
私たちを
遠出した先で
そのまま置き去りにしたり

不機嫌な理由を
明確にしてもらえずに
無視をし続けたりしていました。

また私が泣くと
さらに不機嫌さがエスカレートするので、
泣くことも出来ず

どんな感情も表現することが
出来なくなっていきました。

「(俺を)怒らせる
ココが悪い」

と言われ

ずっと「私が悪い」のだと
思い込み、

どうすれば
(元)夫が怒らないで
1日が過ごせるのかと
そればかりを考え

萎縮した生活を
送っていました。

私が言い返せば
さらに状況は悪くなり

寝ている間に
キャッシュカードや
クレジットカードなど
金目のものは全て
取り上げられていました。

そんな状況で離婚を切り出せば
どんな仕打ちを受けるのかと
とても恐怖でした。

出来るだけ
揉めたくなかった私は、
「お金はゼロでいいから
親権だけ取れればそれでいい」と
思っていました。

けれども
離婚をしたら
精神的に疲弊するのは
間違いない中で、

さらに金銭的にも
困窮すれば
精神が壊れて
子育てどころではなくなる、

だから離婚しても
「お金の心配をすること。
それだけは
避けなければならない」と
考えていました。

私が実際にどうやって今のような生活に辿り着いたのか。
ブラック(モラハラ)夫から脱出するために
取り組んだことのお話しを
動画にまとめました。

その3つの無料動画をプレゼント
させて頂きます!

合計6日間に渡り
お伝えさえて頂きます。

お申し込みはこちらからです!!

【我慢】を終わりにする方法②  〜自分の想いと世間とのズレ〜

思い出したくもない
様々な辛い出来事、

私の結婚生活。

結婚が決まると

私の友達も相手(当時の夫)のことを

「怒らなさそう」

「穏やかで
優しい人で
良かったね」
と。

また(元)夫の友達も
「○○○(元夫)は
本当に優しいから
良かった」

と。

周りの友人達から
口を揃えて
そう言われていました。

私自身もそう思っていました。

けれども現実は
違いました。

結婚式の前夜から
(元)夫が泥酔しては
暴れる行為が始まり

無視や
破壊
暴言など

結婚生活を重ねるのに反比例して
その行為は
エスカレートしていったのでした。

今では
SNSなどで頻繁に
見かけるようになりましたが、

当時の私は「モラハラ」
という言葉を
知りませんでした。

幼い時から
「我慢」をすることで
人間関係を
解決してきた私にとっては、

相手の言うことを飲むことが
【平和的な解決方法】だと
そんな風に勘違いをしていました。

自分にも責任がある
自分にも非がある

だから
相手が言っていることは
その通りなのかもしれない。

そんな心理状態でした。

けれども
だんだん
私が「YES」と答えようが
「NO」と答えようが
(元)夫はキレだすようになっていきました。

家庭内の悩みなんて
そう簡単には外には言えないものです。

私自身が
「自分が出来ないことで
相手を怒らせている」と
思っていた事もあり、

なかなか
人には相談出来ない状況でした。

離婚した後
数年ぶりに会った友達には
当時の私のことを

「私が悪いんだけど、
私が悪いんだけどって
よくココ言ってたよね」

と言っていました。

自分ではそんな事を
言っていた自覚はなかったので、
それを聞かされて
すごく驚きました。

(元)夫が日常的に発狂したり
物を破壊したりしていたことなど、

同時の事を今思い出しても
胸がキューーっと苦しくなります。

それでも、
「自分のわがままで
子供達から
父親を奪っていいのか?」

「この子達の人生に
私の決断が大きく左右することになってしまう。
それでも踏み出して良いのか?」

私一人なら
別れられるけれども
「子供達に悲しい想いをさせても良いのか?」

「離婚」を考えると
その自責の念が
頭の中をぐるぐると回り
決断できずに苦しくなっていました。

たくさん悩み、
実際に行動するまでに
長い時間がかかりました。

本当は、
私が「離婚」する状況を許さないのではなく
世間が許さない。

周りの人たちの価値観が
【「離婚」を良しとしない】
という事に
その時は気づいていませんでした。

離れてみて
やっと
周りの環境が変わり
そばに居る人が変わり

当時の自分のことを
冷静に見れるようになり、
私の考え方は180度変わることが出来ました。

自分が「我慢」すれば
いずれ周りの環境は(良い方に)変わる
当時の私は
そう思っていましたが
そんな事はありませんでした。

極限まで「我慢」した結果は、
自分の心が壊れ
身体も壊れる事になりました。

実際は、
一日でも早く今とは違う行動を起こす事が
一番の改善策だったのです。

そんなブラック(モラハラ)夫から
脱出する為に
私が取り組んだことのお話しを
動画にまとめました。

その3つの無料動画をプレゼント!
合計6日間に渡り
お伝えさえて頂きますね。

お申し込みはこちらからお願いします

逃げる為に逃げ道を作る!

「逃げるは恥だが役に立つ」

というドラマが大好きです。


タイトルの響きだけお借りすると
私の人生振り返れば逃げて
ばっかりです。


人生のターニングポイントで
必死で逃げてきたように思います。



中学時代、
小学校から
仲の良い女子グループと一緒に
そのまま地元の中学校に
あがりました。


けれども思春期に突入し
女子特有の締め付けのある
グループ行動が
嫌で嫌でたまらなくなって
いきました。



毎日「自分じゃない誰かになりたい」
そう思っていました。


当時の私を見ている人がいたら
きっとそういう風には
見えなかったと思います。


それなりに学校生活は
楽しんでいたし、
レギュラーに縁遠くても
放課後は毎日部活へ
行っていたからです。



でも実際は
仲のいい女子グループとは
私の意思ではなく、
「仲間」というルールが
優先され【常に一緒にいる】

という縛りで不安定な関係が
保たれてる事が
辛いと感じていました。



固定された複数の友達で
毎日一緒に
居たけれど
私の中で中学時代は
それこそ暗黒時代でした。


その事を背景に
「高校は、
同じ中学校の子が
誰一人としていない
学校へ行こう」

と決めました。


そうやって私にとっての高校進学は
逃げ道探しとなりました。


本当にただ同じ中学校の生徒が
誰一人として行かない高校


それだけの理由で
家から遠く離れた
高校を選びました。


そこまでしないと
自分自身が変われないと
思ってたからです。


しがらみのない場所へ
行きたくて

毎日必死に勉強して
進学校と呼ばれる高校へ
合格する事となったのです。


当時、私はあの環境から
離れる必要があって
結果、高校時代は楽園かと思うほど
遊びほうけ
楽しい時間を過ごしました。


中学校時代が暗黒なら
高校時代はバラ色でした。


小学校、中学校と
一緒だった女子グループの友達とは
今でも仲は良く、
連絡も取り合っています。


高校が遠かったので高校時代は
あまり会うことはありませんでしたが、

お互い大人になって車も
自由に使えるようになり
行動に制限がなくなってからは
時々時間を見つけては
会うようになっています。


中学生の時と同じように
そのまま女子グループの
友達と同じ高校へ
行っていたら、
今こうやって楽しく話せる
ような関係性ではなかった
と思います。


あの時思い切って離れたからこそ
今の良好な関係に
繋がっているのだと思います。



さらに私は結婚生活からも
逃げたようなものです。


でも今は自分の人生を歩めて
幸せを感じています。


逃げたければまずは逃げ道を作る


時間や余裕がなければ
逃げてから体勢を整えれば良い

今はそう思っています。



こうして自分の道を
歩めるようになって
初めて知ったのですが、


「自分の人生、自分の好きなように
生きて良い」という事実


嘘みたいな本当の話しです。

中学生の頃は友達と
一緒にいなければいけないと
思っていたし

離婚するまでは元夫と
子供の為に一緒いるべきだと
思っていました。


自分の人生は自分でしか歩めない、
逃げたければその場から逃げて
今とは違う道を歩いても良い事を
身をもって学びました。


高校生の時は
逃げる為に受験勉強をし、


子供を連れて自立する為に
物販を始め


会社組織からも逃げたくて
経営者の道へ進みました。




【嫌な事を避けることで
新しい世界が広がる】


そう思えれば、逃げ道を作る事も
恥ずかしい事じゃなく役に立つ事だ
と思えるのではないでしょうか。


モラハラに苦しめらるのは立証が難しいから

無視の残虐性って知っていますか?

人って無視され続けると
「自分に価値はない」
と感じるようになるんです。
 
 
無視の本当の怖さは
その手軽さにあると思います。

暴力を振るうには
エネルギーがいります。
(要らないエネルギーですが)

 
返り討ちにあう
リスクも伴います。

物理的な証拠が残ります。

でも「無視」って
 

「聞こえなかった」
「気付かなかった」
 

で簡単に済まされてしまう
くらいに

客観的に危害を加えた

という事実が証明しづらい
行為なんです。
 
 
明らかに聞こえていたと
しても相手に一言
「聞こえてなかった」

と言われてしまえば
こちらの主張も
立証しづらいのです。

それだけではなく、
その一言で
こちら側に
罪悪感を抱かせる事も
出来てしまうのです。

私は長年配偶者に
その言い分を言われ続け
じわりじわり
自尊心を失っていきました。

お手軽な(心の)殺傷方法なので
家庭内だけではなく
学校や職場でも
頻繁に行われいる行為。

「無視(しかと)」
 

無視される方のダメージは
はかりしれないけれども

 
なかなか
それを人に伝える事が難しいので
自分で気づくのに
時間がかかってしまいがちです。

モラルハラスメント 

言葉や態度による精神的な
苦痛、いやがらせの事です。 

無視し続ける行為で
相手に苦痛を与える事も
モラハラの一種です。 

私は結婚生活8年で
別居に至りましたが、 

「モラハラ」という言葉も知りませんでしたし
まず自分がモラハラされている
という認識にとても時間がかかりました。 

「無視」の手軽さと
それゆえに被害に
気付きにくいという
特異性がもっと世の中に
知れ渡って、 

被害者自身が
自分を守れるように
なってくれたらなと思います。

なんか居心地悪いなだったり
なんだか苦痛だなって

感じてる自分の感情を
気のせいだったり隠したりせずに

そう思っている自分がいる事に
まず気づく事が

モラハラやいじめ
に気づく第一歩だと思います。

時間が経てば経つほど
立ち上がる気力を
奪われていくのが
身体的DVや精神的DV
の怖さです。