恥ずかしい話しなのですが、
同居の時は
(当時の)旦那さんと
トラブルにならない事が
家庭内での第一優先事項だった為
子供の教育には
携わらないように
していたのですが、
別居を期に子供の教育を一手に
引き受ける事になって
初めて分かった事が
多々ありました。
別居した時パズーは
小学校二年生になって
いたのですが、
一人で学校の準備が出来ない
(旦那さんがやっていたので
当たり前なのですが)
宿題が出来ない
など心配な面も出てきた上に
「学校」教育にココ自身が
面として向き合う事になり、
その時に改めて驚いたのが
宿題の多さに加えて
その内容でした。
デシリットルの宿題が
半年近くも出るなど
社会で使わないような内容が
改定されず、
そこを完璧に答えられるように
なるまで続けられる教育に
疑問を抱くようになって
いったのでした。
さらにそこにきて
パズーからの一貫した
「学校をやめたい」発言。
ココ自身で決断の出来る
環境(別居)となり、
「真剣に取り組む価値があるな」と
思いました。
そこから色んな選択肢を
探りました。
パズーの「学校をやめたい」
という本質がいまだに
明確ではなかったので、
転校やフリースクール
という選択肢を含め
情報を集めました。
そこでたまたま出会ったのが
現在通う事になった
インターナショナルスクールでした。
パズーの入学時には
語学の取得によって
世界が広がるという想いから
インターナショナルスクールを
と考えていたのですが、
ここ近年で5Gや
AIなどテクノロジーの発達を
みていると
語学の取得
という理由だけで
インターナショナルスクールを
選ぶのはどうかな?
という気持ちがあった為
インターナショナルスクールに
絶対行かせたいという
気持ちは特にありませんでした。
けれども、たまたま
ご縁があり見学へ行った
今のスクールで
目の当たりにしたのが、
通っている子供達が
生き生きと発言し、
学んでいる姿でした。
1日見学し、
こなす勉強ではなく
自ら学ぶ勉強を
して欲しいという
ココの想いと合致する
教育方針に感銘を受け
ココ「転校させたい」
と思いました。
ただそこにはとてもつもない
ハードルがあります。
3才の年少から通学し
既に英語歴に5年程の差があり、
スピーキング、ライティング、リーディング力が
ついている子供達の中に入って
「Hello」も知らない
パズー小学2年生が
やっていけるのか?
相当本人に強い意思がないと
「厳しいな」という気持ちでした。
有難い事にスクール側としては、
英語ゼロでも
受け入れるという返答を
頂けました。
それからパズーと
何度も何度も話し合い
意思を確認し、
公立に通いながら
週に1回の体験を
1か月間行った上で
パズーの気持ちを確認したところ
パズー「ここのスクールに通いたい」
というので、
公立からインターナショナルスクールへ
移る事になりました。
レベルの違う生徒の中でも
スクール側の個別対応や
学習への誘導
カリキュラムがしっかりしているので、
集団の中だと
ついていけない
パズーも
楽しんでスクールに
通学する事ができています。
もちろん、
学歴を否定しているわけでは
ありません。
なぜなら社会は
学歴のある人たちで
作られているわけで、
今後も学歴社会は
なくならいと思っています。
ただ、学歴を必要とする
職業(学歴がないと
そもそも就けない仕事)は何か
という事を理解した上で
学歴重視の教育を子供に
していくのか
ただただ学校で
【優秀な成績を取らせる事】を
目標に卒業させたとしても
子供自身の納得感や
将来社会に出た時に
その学力を活かせるかが
天と地ほど変わってくるのだと
思っています。
どんどんテクノロジーは発達し
めまぐるしく世の中が
変わっていっています。
そんな中で既に私たち世代は
過去の教育を受け
過去の世代なのです。
子供達は未来を生き
私たちよりも
一世代進化しているのです。
社会がこれだけ変化を
遂げているのです。
「違和感」を感じる
子供の感性も
大事にしてもいいのではないかなと
思います。
「学校をやめたい」と話す長男パズーとの日々 〜Vo.2〜
(当時の)旦那さんと
ココとは教育方針が全く逆で
<パズー小学校入学前>
ココ(子供の意思が一番大事だし、
これからの時代を考えて
インターナショナルスクールに
通わせたい)
と思っていましたが、
当時はインターナショナルスクールに
通わせる経済力もなかった
事に加えて、
(当時の)旦那さんは大学まで
学費のかからない
【公立を卒業すること】
こそが成功であり
優秀という考え方でした。
夫婦の立場が
対等ではなかった
我が家では、
ココの意見などは
聞いてもらえませんでした。
さらに
(当時の)旦那さんは
とても教育熱心で
パズーが小学校へ入ってからは
家にいる時は
宿題を(鬼の形相でしたが・・)
手取り足取り教えたり
学校の用意も
全て(当時の)旦那さん
が子供が寝静まった後に
完璧に揃えてあげたり、
失敗を先回りして
防ぐのが教育だと思っている
考え方でした。
ココとしては、
学校の用意も
本人にやらせたい(自立)
宿題も多すぎて
「持ち帰り残業のようだな」
と思っていたくらいなので、
お互いの教育方針がそもそも
真逆な事に加えて
歩み寄りの話し合いも
出来なかったので、
夫婦で
折り合いもつかないまま
ココが教育に携われば
子供自身が
「パパとママで言っていることが違う」
と混乱すると思い、
教育に携われませんでした。
なので、
パズーと話しはするものの
「学校をやめたい」
というパズーの言葉を組んで
行動に移すといところまでは
いきませんでした。
今振り返れば
パズーの教育に
携われなかった期間
子供と距離があったのだと
思います。
それが別居を期に色々と
環境が変わっていきます。
続く
モラハラに苦しめらるのは立証が難しいから
無視の残虐性って知っていますか?
人って無視され続けると
「自分に価値はない」
と感じるようになるんです。
無視の本当の怖さは
その手軽さにあると思います。
暴力を振るうには
エネルギーがいります。
(要らないエネルギーですが)
返り討ちにあう
リスクも伴います。
物理的な証拠が残ります。
でも「無視」って
「聞こえなかった」
「気付かなかった」
で簡単に済まされてしまう
くらいに
客観的に危害を加えた
という事実が証明しづらい
行為なんです。
明らかに聞こえていたと
しても相手に一言
「聞こえてなかった」
と言われてしまえば
こちらの主張も
立証しづらいのです。
それだけではなく、
その一言で
こちら側に
罪悪感を抱かせる事も
出来てしまうのです。
私は長年配偶者に
その言い分を言われ続け
じわりじわり
自尊心を失っていきました。
お手軽な(心の)殺傷方法なので
家庭内だけではなく
学校や職場でも
頻繁に行われいる行為。
「無視(しかと)」
無視される方のダメージは
はかりしれないけれども
なかなか
それを人に伝える事が難しいので
自分で気づくのに
時間がかかってしまいがちです。
モラルハラスメント
言葉や態度による精神的な
苦痛、いやがらせの事です。
無視し続ける行為で
相手に苦痛を与える事も
モラハラの一種です。
私は結婚生活8年で
別居に至りましたが、
「モラハラ」という言葉も知りませんでしたし
まず自分がモラハラされている
という認識にとても時間がかかりました。
「無視」の手軽さと
それゆえに被害に
気付きにくいという
特異性がもっと世の中に
知れ渡って、
被害者自身が
自分を守れるように
なってくれたらなと思います。
なんか居心地悪いなだったり
なんだか苦痛だなって
感じてる自分の感情を
気のせいだったり隠したりせずに
そう思っている自分がいる事に
まず気づく事が
モラハラやいじめ
に気づく第一歩だと思います。
時間が経てば経つほど
立ち上がる気力を
奪われていくのが
身体的DVや精神的DV
の怖さです。
