重度アトピーの乳飲み子を抱え乗り越えた物販立ち上げ時の秘訣

物販を始めようと思った時
私はボスを生んだ直後でした。
 

  
ボスは生まれてすぐ
湿疹が出てきて 

「乳児湿疹かな?」 

と思っていたら
どんどん酷くなっていき 

顔から始まった
湿疹があっという間に
全身に出てきてしまい

 
痒もでてきててそのまま
重度のアトピーになりました。 
 
 
朝も昼も夜も
痒くて痒くて
まだ短い手足で
全身を
掻きむしる我が子 

寝ていても起きていても
掻きむしるので

常に肌を撫でてて
あげていないと
血が噴き出してしまう
毎日でした。 
 
 
そんな中でも
もう旦那さんの事が
信じれられなくなっていた為 
 
 
最初のきっかけは
子供達に良い食べ物を
買う為のお金が欲しいという
気持ちからでしたが 

「もしもの為に」という
気持ちが日に日に増していました。 
 
 

けれども起業、別居、離婚を経て
自分の思い描く通りに
こうして道を進めたのは
決して私一人の力だけ
ではありませんでした。
 
 

自立するのは
もちろん自分自身の決断ですが、  


自分で全部抱えこむ必要は
ない事を知ってください。 

家事もして子育てもして
さらに稼がないといけないと
なるとどこかに必ずシワせよがきます。 

時間は有限なので当然です。

 
なので、今から自立を 
考えている人はまず
味方を作ることです。 

一人でも多くの味方を作ることです。 

一人でスタートするには
荷が重すぎます。 

私自身、重度のアトピーの乳飲み子と
まだ3歳にもならない幼児を
抱えてモラハラ夫に耐えながら
物販を見よう見まねで

 
続けてこれたのも
味方を作ったからです。

 
それこそ、
遊びに来た友達の手も借りました。

 
一番味方になってくれたのは、
実母です。

そう書くと仲良し親子のように
思われるかもしれませんが、

全くの逆で
私は母とは昔から折り合いが悪く
個人を受け入れるというよりも  


「自分が正しい」というような 
主張の強い人で、 
 
さらに時と場合によって言い分も  
コロコロ変わるのでいつも私は振り回され 、
昔から何度もぶつかりあっていました。

 
それでも、やはり私には
他に頼る人がいません。

 
どうしても母に味方に
なってもらう必要がありました。

食べ物のことでも
かなり母からの反発は
あったものの

  
「例え他の人が反対しようとも
お母さんだけは、
私の味方であって欲しい」

 

(他所の人のかかげる正論なんて要らない) 

と泣きながら懇願し
自分の本音を話せたことで 

その後は母も
一緒になって子育てに積極的に
なってくれ、 

私の子育てのやり方を尊重してくれるように
なりました。 

今でも銀行との飲み会や
出張の時なども
快く子供達を預かってくれて
送り出してくれます。 

時にはママ友に
助けてもうこともありました。 

子供を育てながら
稼ぐというのは、
立ち上げ時なんて
特に大変なので、

 
必ず周りに人が必要です。 

自分には頼れる身寄りはいない
という人もいまは
サポートセンターなど 

低料金でのサポートを受けれらる
制度もあります。 

一つやるだけでも相当大変な
家事、育児、ビジネスを
<一人で請け負う>
というマルチステージに
いかなければならなりません。

頼れる人には頼って
頼れない人には
頼らない!! 

(これ超重要です! )

まず最初に周りに
助けてくれる人、
そういう人間関係を構築することが

ビジネスを始める、自立する為にも
何よりも大事なことなのです。 

モラハラに苦しめらるのは立証が難しいから

無視の残虐性って知っていますか?

人って無視され続けると
「自分に価値はない」
と感じるようになるんです。
 
 
無視の本当の怖さは
その手軽さにあると思います。

暴力を振るうには
エネルギーがいります。
(要らないエネルギーですが)

 
返り討ちにあう
リスクも伴います。

物理的な証拠が残ります。

でも「無視」って
 

「聞こえなかった」
「気付かなかった」
 

で簡単に済まされてしまう
くらいに

客観的に危害を加えた

という事実が証明しづらい
行為なんです。
 
 
明らかに聞こえていたと
しても相手に一言
「聞こえてなかった」

と言われてしまえば
こちらの主張も
立証しづらいのです。

それだけではなく、
その一言で
こちら側に
罪悪感を抱かせる事も
出来てしまうのです。

私は長年配偶者に
その言い分を言われ続け
じわりじわり
自尊心を失っていきました。

お手軽な(心の)殺傷方法なので
家庭内だけではなく
学校や職場でも
頻繁に行われいる行為。

「無視(しかと)」
 

無視される方のダメージは
はかりしれないけれども

 
なかなか
それを人に伝える事が難しいので
自分で気づくのに
時間がかかってしまいがちです。

モラルハラスメント 

言葉や態度による精神的な
苦痛、いやがらせの事です。 

無視し続ける行為で
相手に苦痛を与える事も
モラハラの一種です。 

私は結婚生活8年で
別居に至りましたが、 

「モラハラ」という言葉も知りませんでしたし
まず自分がモラハラされている
という認識にとても時間がかかりました。 

「無視」の手軽さと
それゆえに被害に
気付きにくいという
特異性がもっと世の中に
知れ渡って、 

被害者自身が
自分を守れるように
なってくれたらなと思います。

なんか居心地悪いなだったり
なんだか苦痛だなって

感じてる自分の感情を
気のせいだったり隠したりせずに

そう思っている自分がいる事に
まず気づく事が

モラハラやいじめ
に気づく第一歩だと思います。

時間が経てば経つほど
立ち上がる気力を
奪われていくのが
身体的DVや精神的DV
の怖さです。

開運メッセージ?!

「あれ? キッチンにすごく
小さなバッタがいる!!??」


と、思っていたら

フローリングの床に
もう一匹、もう一匹さらにもう一匹。。


ん?


その先を見てみると・・・


息子達が飼ってたバッタの虫カゴが!!

なんと!!!


息子たちが捕まえてきた
バッタが
卵を産んでいた
みたいで

気づかない間に孵化して


あまりにも小さいので
虫カゴの蓋の隙間から
逃げ出して
しまっていたようです!!!


隣で子供達が育てていた
トマトの葉が


バッタの餌になっていて
爆笑しました。


家庭内栽培で
無農薬で育てられる!と
思っていたのに

まさかの自前で虫を繁殖
させてしまいました笑


子供達が捕まえたバッタの
赤ちゃんにトマトの葉を入れて
あげていて
可愛いなーと思いました。



バッタが運んでくる
#スピリチュアルメッセージ
は新しい出会いと名誉
らしいです。


停滞していた物件購入の案件について
改めて連絡を入れた
ところだったので、



その案件が前に進む
知らせだと嬉しいな!




LINE 機能に驚いた

わわわ!LINE機能って今こんな事になってるのね! 



アイフォンで撮った画像の文字を

自動でテキスト化出来てしまう! 

送られてきた資料も手入力で
打つ必要がなくなってる。 


テキスト化したい範囲も簡単に
画像を指でなぞれば

範囲指定出来るし超絶便利!!

経営?銀行?ビジネス?何よりもシンママココが優先させているもの

ブログを開設するにあったって
自分の事を振り返ると


ココアカウントは
ビジネスアカウントだと
思っていましたが、
よくよく考えてみると

私のライフスタイルは
ビジネス優先ではなく
子育て優先だなという
事に気付きました。

私の主な仕事は
「子育て」

なのでブログタイトルも
【起業家シンママ】
ではなく

【シンママ時々社長】

という順番が正しいので
そう付けました。

元々私が起業した理由は

雇われている時間給と
子供と過ごす時間の価値を換算
した時に割りに合わないと
判断したことが根底にあります。

私は出産と同時に
会社を退職し
地元で出産しました。

それから社会復帰を
考えたのが長男パズーが1歳に
なる頃

「そろそろ保育園の事や
働きに出る事を考えなきゃな」

と思い

職を探してみたのですが

社会人歴が6年ほどしかなく
その後は子育てに入っていた為
その時点でブランクが
2年ほどありました。

また子供が熱を出した時や
体調不良、その他子供の行事などで
自由に休みが取れる

という条件で職を探すと

当てはまる好条件の
職を見つけることが出来ませんでした。

気持ちとしても
雇用されていてた会社員時代の
思い出があまり良いものではなく


人間関係、自分の力では
どうにもならない上下関係、

男性社会での女性の待遇(出世しづらい)
の悪さも感じていた為

雇用時代に戻る事にも抵抗がありました。

精神的なハードルの高さ
時間的拘束
経験値のハードル

これらを総合的に見ても
最低賃金での職探しになりました。

最低賃金というのは
働いている労働時間分です。

けれども実際は
移動や準備を含めるので
時給換算されない
前後の拘束時間が発生します。

それが前後1時間ずつだった
とすると
最低賃金×労働時間÷(労働時間+2時間)
となり、実際の時給(最低賃金の額)を
下回るなというのが私の見解でした。

となると、今のこの可愛い我が子の
成長とは引き合いに合わないな
と思いました。

また前後の拘束時間もそうですが、
予定を仕事を軸に組まなければならなくなるので、
どうしも仕事中心となります。

私の求めるライフスタイルは
子供中心

総合的に外で働きに出る選択肢は
無しだなとという判断になりました。

その後ネットで見つけた
自宅で出来る輸入販売の物販を
始める事にしました。

安定収入や予測が立てられないので
不安定な要素が多く見受けられる
個人の物販ですが、

慣れてくると
ある程度売り上げの
予測は立てられますし
移動時間もなく

自分の努力によってだけで
左右されるので、

煩わしい人間関係も発生しません。

もちろん外注さんとの
やり取りに気を遣う事はあっても
上下関係が発生する
ような事はないので、
昔の会社員時代よりは

私の性に合っていました

ただ、私が物販を始めたのは
ボスが生まれてからの事
既に夫婦仲が悪くなっていったので、

「今後のこと」
を考えて
一人でも子供たちを連れて
いつでも家を出られるように

当時、旦那さんには
猛反対されていましたが、

これは私の未来への投資
だと思い
無理してでも続けていました。

その積み重ねの
延長で今の私たち親子の形があります。

今では、私の求めていた
子供達優先の生活が
送れるようにまでなりました。

「どうしてもココさんでなければダメなんです」

「ココさんにお願いしたいです」

とおっしゃってくれる方とだけ
お仕事をさせて頂けるようにまでなりました。

クライアントには
子供が優先ということを
理解して頂いた上で
サポートをさせて頂いております。

投資を始めたのも
私が働けば
子供と過ごす時間が
減ってしまうので

出来るだけ仕事をしないこと
を考えた結果

お金に稼いでもらう
ということで投資を始めました。

成功者の方々は
皆さん、お金に働いてもらっています。

そのサイクルに乗れるよう
私も私なりの投資をしながら
ビジネスを行っています。

シングルママがどうやって
時間を作っているのか
どうやって資産を築いているのか

「子供中心」のライフスタイルを
叶えるために
日々考えていることや
実践していること

ココスタイルの子育て兼社長業について
一つ一つ綴っていこうと思います。

これからどうぞよろしくお願い致します。

銀行支店長からの着信


トゥルルルル トゥルルルル 


ママ友とランチをしていたら


手元のスマホに

(着信画面)
◯◯銀行 ◯◯◯支店
という表示が。


ココ「ん?担当かな?」

と思いおもむろに出てみると、、、

ちょっと声が違う
話し方も違う(困惑)



と思っていたら
「◯◯◯支店の◯◯です」

ココ「支店長ですか?!」

支店長「はい、先日の飲み会では・・・」

と、支店長直々から
飲み会参加のお礼のお電話を頂きました。


銀行は10月は役員クラスの人事異動
の時期です。


昇格や栄転などが
ある場合にはプレゼントを
送るようにしていますが、

いつもちょっとおしゃれなボールペン
にしています。


接客業の方はボールペンは何本あっても
邪魔にならないですし
好みの差も出にくい
小物&手軽なのでオススメです。


辞令から異動まで数日しかない事が
多いので、9月の決算シーズン後も
銀行に顔を出されておくと良いですよ。



会社まで旧支店長と新支店長が
挨拶に来るようなリレーション
(銀行内格付け)が
取れていたら花丸ですね!

反省の為の記録

ずっと含み益を引っ張っていた株があって
本当に想定した通りに動いて
くれたので、
昨日の時点で

「明日利確しよう」


と決めていたのですが!!!


いざいざいざ
今日になって利確しようと思ったら、


手が、手手手手手がぁぁぁぁぁぁ!!!!!

(利確)ボタンを
押せない。


(もう少し引っ張っても
良いかもしれない)


なんて欲が邪魔してしまってるんですよね。


結果、欲に打ち勝つ
頃にはかなり値を下げて
しまいました。


利確の難しさを改めて実感しました。


含み益なのでどの時点で利確しても
利益確定なのですが、


相場に入るタイミングも
出る(利確)するタイミングも
想定出来なければ
いつまでも
投資ではなく、
投機になってしまうので、

今後もその点の精度を
上げていきたいなと
強く思いました!



#株は自分との戦い

銀行と上手くいくと経営が上手くいく

累計融資額が億を超えました。


事業融資、不動産融資、セミナーと
毎日って程銀行とやりとりしていて
今月はそれだけで忙しいです。



担当と話す機会が
増えれば増える程
融資がおりるのは、
経営内容が見えるから。



銀行と仲良くしていると
とても良い条件での
融資提案も
回ってきます。



今回も元本返済五年据え置き、
(更新制)
資料も私が用意する物は
試算表だけで、多額の
融資が短期間でおりました。



銀行には借りずとも
足を運ぶようにすれば
自ずと融資の機会が増えます。




つい先日
初めて銀行担当から
驚く提案まで頂きました。



ココの心の声
(わわわわわ!!!
銀行側からそんな提案あったり
するんですか?!驚)



というバズーカ提案を頂きました笑


経営の次のステージを
見せてもらったようです。



経営者ってこうやって
資産を築いていくのだなという
銀行からの提案。




この先にももっと
ぴよぴよの
私なんかでは
知らない世界が
広がっているのかもしれません。。。




銀行と仲良くすることは
「生き残る会社経営」を
するには必要不可欠なことだと
改めて思いました。

体のコンプレックス

どうもこんにちは、
耳たぶ 太子(フトコ)です。


昔から何度ピアスに挑戦しても
耳たぶが太すぎて、


ピアスの穴が完成する前に
ファーストピアスが
取れてしまうという
悲しいエピソードの持ち主です。


おまけに肌も弱いので、
ピアスだとアレルギーの
リスクも出てきてしまいます。

なのに
ピアスの方が可愛いデザインが
多いので、

穴が開いてないのにも
関わらず、


憧れてピアスを買っていた
時期もありました。



そんな中、イヤリングだと
オールオッケーという程
現実は甘くもなく、



優しく包み込むタイプ(樹脂製)は
落ちてしまい
すぐに無くしてしまう事が
何度もありました。


もはや
写真のようにしっかりと
ネジで留める
イヤリングしか付けられません(涙)



筋金入りの
耳たぶ太子なのです。



耳たぶだけはダイエットも
出来ないので、この宿命を
受け入れて今日も生きていこうと
思います。

「離婚」という選択肢は正解なのか?

依存できる人に依存するのは
幸せな事だと思います。




誰かに依存出来る事は良い、
でもただ誰かへの依存があなたの
制限になってはいけないと
私は思います。




私はかつて勘違いをしていました。




「母親なのだから子供の為に我慢しなさい」


母親になったのだから
子供を生んだ一つの条件として
「我慢」して生活を続けなさい



それはなぜか美徳として
いつの間にか染み付いていた
一つの価値観でした。



心は「苦しい」って
何度も何度も悲鳴を
あげていたのに。




それでも「子供の為に」
という蓋が感情に
覆いかぶさっていて



わけも分からない重さが
体中に心の中に
降り積もっていきました。



でもそれに
気づかないふりを
続けていました。



気づかないふりを
続けた結果、
ふと気づいた時には



もう重しを持ち上げる力は
残ってはいませんでした。



そうして私の心は
仮死状態となり



暑さも寒さも
喜びも悲しみも



何も感じる事が
出来無くなっていました。



何も美味しくない
何も楽しくない



直立不動で立っていないと
全てが崩れていくんじゃないかって、



だから何も感じないふりを
続けていました。




何かを話せば
怒られ
何か行動すれば
怒られ



気にくわないことがあると
理由も話されず無視され続ける



小さな箱の中に
入れられたように
出口もなければ
逃げ道もない日々でした。



だから、
膝を抱えて
うつむいて


私の周りにある
箱の存在に
気づかないふりをしているしか
選択肢がなくなっていたのです。



この箱の中から出る事は



子供達から「父親」を奪うこと
子供達から輝かしい未来を奪うこと
子供達の心を傷つけること



家にいることが
苦痛で苦痛でしょうがなかった
としてもその箱を開ける恐怖を
選べずにいました。




私が日々考えていたことは
「殴ってくれたらいいのに」
ということ。



「いつか殴られるんじゃないか
いつか殴られるんじゃないか」



と相手が怒るたびに
お酒を飲むたびに
恐怖を感じ続ける生活が続くよりも



暴力を受けて
お終いにしたかったのです。


実際に相手にも
「毎日怖くていっそ殴ってくれた方が
よっぽど良い」
と伝えたこともあります。



母親が「(誰かと付き合う時は)
一発でも殴られたら別れなさい」



と昔から言っていたから
かもしれません。



殴られさえすれば
この箱から出られる
そう思っていました。




でもそんな日が来る事はなかった。



だからすごく怖かったけど、


やっぱり立ち上がろうと
何度も諦めようかと
思いながらも



立ち上がるべきだと思い
少しずつ
本当に少しずつ行動を
していきました。




何度選択を変えても良い
立ち止まって
振り返ってみても良い



自分の気持ちが楽な方へ
幸せになれる方へ
足を向けて



進めていければ
それだけで
花丸なんだと思います。



人生は続いていくから。






別居して1年が経ちました。


行動する前は
子供達にとって
「離婚」
という決断が良かったのか
悪かったのか



その答えは死ぬ直前まで
分からないんだろうなって



思っていましたが、
今こうなってみて思う事は



自分に正直に生きて良かった

ということです。



ただそれだけは正しかったと
子供達にも責任もって
胸を張っていこうと
思えるようになりました。