依存できる人に依存するのは
幸せな事だと思います。
誰かに依存出来る事は良い、
でもただ誰かへの依存があなたの
制限になってはいけないと
私は思います。
私はかつて勘違いをしていました。
「母親なのだから子供の為に我慢しなさい」
母親になったのだから
子供を生んだ一つの条件として
「我慢」して生活を続けなさい
それはなぜか美徳として
いつの間にか染み付いていた
一つの価値観でした。
心は「苦しい」って
何度も何度も悲鳴を
あげていたのに。
それでも「子供の為に」
という蓋が感情に
覆いかぶさっていて
わけも分からない重さが
体中に心の中に
降り積もっていきました。
でもそれに
気づかないふりを
続けていました。
気づかないふりを
続けた結果、
ふと気づいた時には
もう重しを持ち上げる力は
残ってはいませんでした。
そうして私の心は
仮死状態となり
暑さも寒さも
喜びも悲しみも
何も感じる事が
出来無くなっていました。
何も美味しくない
何も楽しくない
直立不動で立っていないと
全てが崩れていくんじゃないかって、
だから何も感じないふりを
続けていました。
何かを話せば
怒られ
何か行動すれば
怒られ
気にくわないことがあると
理由も話されず無視され続ける
小さな箱の中に
入れられたように
出口もなければ
逃げ道もない日々でした。
だから、
膝を抱えて
うつむいて
私の周りにある
箱の存在に
気づかないふりをしているしか
選択肢がなくなっていたのです。
この箱の中から出る事は
子供達から「父親」を奪うこと
子供達から輝かしい未来を奪うこと
子供達の心を傷つけること
家にいることが
苦痛で苦痛でしょうがなかった
としてもその箱を開ける恐怖を
選べずにいました。
私が日々考えていたことは
「殴ってくれたらいいのに」
ということ。
「いつか殴られるんじゃないか
いつか殴られるんじゃないか」
と相手が怒るたびに
お酒を飲むたびに
恐怖を感じ続ける生活が続くよりも
暴力を受けて
お終いにしたかったのです。
実際に相手にも
「毎日怖くていっそ殴ってくれた方が
よっぽど良い」
と伝えたこともあります。
母親が「(誰かと付き合う時は)
一発でも殴られたら別れなさい」
と昔から言っていたから
かもしれません。
殴られさえすれば
この箱から出られる
そう思っていました。
でもそんな日が来る事はなかった。
だからすごく怖かったけど、
やっぱり立ち上がろうと
何度も諦めようかと
思いながらも
立ち上がるべきだと思い
少しずつ
本当に少しずつ行動を
していきました。
何度選択を変えても良い
立ち止まって
振り返ってみても良い
自分の気持ちが楽な方へ
幸せになれる方へ
足を向けて
進めていければ
それだけで
花丸なんだと思います。
人生は続いていくから。
別居して1年が経ちました。
行動する前は
子供達にとって
「離婚」
という決断が良かったのか
悪かったのか
その答えは死ぬ直前まで
分からないんだろうなって
思っていましたが、
今こうなってみて思う事は
自分に正直に生きて良かった
ということです。
ただそれだけは正しかったと
子供達にも責任もって
胸を張っていこうと
思えるようになりました。