【我慢】を終わりにする方法①  〜始まりは子供時代から〜

「ココに出来るわけがない」
当時の夫にそう言われ続けて

(自分には何も出来ない)

そう思う日々を過ごした
私の30代結婚生活。

これはそう、
今思えば
結婚生活からがスタートではなく
子供の頃から
続いていたことでした。

過干渉な母には、
蔑まされたり
脅されたり
あの手この手で言葉巧みに
恐怖心を煽られ
支配され続けていました。

そんな家庭内では
兄も自暴自棄になり、

父は、
子供の問題も母に全て責任転嫁し
常に不機嫌で、
夫婦仲の悪い家庭でした。

そうやって
子供の頃から
自我を抑え
「我慢」することが
基本だった私は

結婚した後も
「我慢」することが当たり前
と、思い込んでいました。

実際、離婚する意思を
兄に切り出した時は
「お前の我慢が足りないんじゃないのか?」と
開口一番に言われ、落胆しました。

自分自身の気持ちを
大切にすることや

自分で自分を
労ってあげることも
分からなかった子供時代、
そして結婚生活。

夫に暴言を吐かれ
キレられ
家を締め出されても

自分の尊厳を
自分で守れなかったのは、

幼い頃から「我慢」するのが当たり前という
価値観が私自身に
根付いていたからだと
離婚して時間が経ち、
今やっと気づくことが出来ました。

たった数年前まで
そこに居た私。

相手(当時の夫)が変わることを
望んでいて

NOを突きつけるという決断を
思いつきもしなかった過去の私がいます。

その時はとても苦しくて
だけど、
どうやったらいいのかも
全く分からなくて

どんどん心が追いやられていきました。

でも、そんな中でも
行動した結果

今では、オリジナルブランドを
2つ手がけられるようになり、
そのうちの一つは海外展開を
視野に動くまでになりました。

愛車も
結婚していた時は
(夫名義の)
40万円で購入した
中古車でしたが

独立起業し、
資産を築き
離婚してからは
自分で選んだ
お気に入りの新車を購入

さらに法人7期を機に
ずっと憧れていた
ドイツ車にも買い替えました。

また結婚していた時には
通わせたくても
当時の夫の反対に加えて、

経済的なこともあり
通わせることが出来なかった
インターナショナルスクールに
子供達を通わせることも出来ています。

ホテル宿泊しながらのママ友会に
同じ経営者の彼や子供達とのゴルフ生活
も送れるようになりました。

シングルマザーとなり
それこそ何の後ろ盾もなっくなった今でも
事業融資だけでなく、

数千万の投資用不動産決済が
あっさり銀行からもおりています。

それも、金利上昇傾向に向かっている昨今、
さらに金利を下げた形での融資決済です。

一人社長で小さな会社にも関わらず
支店長が変わったタイミングで
挨拶に来てもらえるようになり、
新たな不動産案件まで
銀行が持ってくるようにもなりました。

私は、ずっとそんな生活をしてきた
わけではありません。

文頭にも書きましたが、
元々、私には何もありませんでした。

資産や人脈、夫からの愛情
それどころか
自分への尊厳すら。

それでも、
全てにはきっかけがあります。

人生には様々な
分岐点があります。

私が始めたことは
宝くじを買って
一攫千金を当てたわけでもなく、

大金持ちの
パトロンがついたわけでもなく

慰謝料や財産分与で
大金を手にして
夫と離婚できたわけでもありません。
(むしろゼロです)

「我慢」する生活を
手離す覚悟を持ったら、
新しい生活が
手に入ることになったのです。

今回は、同じような悩みを
抱えている人に届くように想いを込めて

私がブラック(モラハラ)夫から脱出するために
取り組んだことのお話しを
動画にまとめました。

その3つの無料動画をプレゼント
させて頂きます!

合計6日間に渡り
お伝えさえて頂きますね。

お申し込みはこちらからです!!

追伸:大それたことでも
何んでもないけれど、
「無職だった私が
一体何をしてきたのか?」を
あます事なくお伝えさせて頂いています。

何かしたいと
うずうずしている人に少しでも
お役に立てたら幸せです。

一人でも多くの女性が
理不尽な環境に潰されずに
自分の人生を取り戻す
きっかけになれたらと思います。

2023年、私が新しく取り組んだこと

年が明けて新しいことに
取り組んだ人も多いと思います!

新しい年になり私が始めたことは、
ずっとやりたかった
安全な野菜作りです!

ご縁があり
小さいですが
「畑」を借りることが
出来まして、
農業にチャレンジしています。

実際にどの位出来るのか
分かりませんが、
今は、酸度計を買って
土づくりから始めています。

食糧危機が来ると言われて
久しいですが、
確かにそのことについての
対策の意味もありますが、

もっとずっと違う意味での
私の「畑」への憧れは、
子供の頃の幼い記憶に
関係しています。

私は田舎の
一軒家に住んでいたので
庭があり、
これまた小さいですが
「畑」がありました。

そこでの土いじりの記憶や
人参を掘り起こした時のことが
温かい記憶となって残っています。

正直、家庭内不和で育った
私には家庭の温かい記憶が
ありません。

だけど、土を触っていた時の
感情はとても温かい気持ちだったと
記憶しています。

小学校高学年になる時には
父の兄弟が同じ敷地内に家を建てたので
「畑」はなくなりました。

なので、実際に人参を掘り起こしたのは
その一回きりだったのかもしれません。

でもいつかは
「自分で食べ物を作ってみたい」
「また人参を掘り起こす時の
土の温かさを感じたい」と
願っていました。

また、私が稼ぎたいと思った
きっかけには、
「子供達に安全な食べ物を
食べさせたい」というところから
スタートしているので、

私のビジネスの
原動力の根本には
いつでも「食」が
深く影響しています。

無農薬野菜は
日本ではまだまだ高価です。

それでも子供達の体には、
出来るだけ
科学薬品が入っていかないようにしたい

その思いで
値段のはる
無農薬食品が
買いたくて
「物販」に興味を持ったのが
最初です。

その後、思わぬ方向で
「物販」が私の人生を大きく
変えていくきっかけになるのですが。

明日からは
人生で我慢し続けてきた私が
「我慢」を終わりにした方法を
お伝えしていきます。

何を優先する人生にするのか?から組み立てていく

子育ては良くも悪くも
自分の子供時代を
踏襲します。


向き合いたくない事にも
向き合わなければ
いけない時もあるので、

その時は
とても苦しい気持ちになります。


私は毎晩
子供達と一緒にお夕飯を食べ
子供達が寝る前の30分から1時間を
一緒に過ごすようにしています。


始めは
「どうして、私はそうしたいのだろう?」

とよく分かっていなかったのですが、
そこを掘り下げていくと
自分の子供時代の記憶に
基づいている事に
気づきました。


私が育った家は
家族の団欒があるような
家ではありませんでした。


むしろ夫婦仲が悪く
いつも両親は
お互いのせいにして
怒ってばかりでした。

聞こえてくる
喧嘩の内容の
ほとんどは
子供のことでした。

父が母を怒る、
母は父に怒られるから
子供を怒る

そういう構図は
子供心にも
見て取れました。

だから母は子供の方を
向いているのではなく、
父の方を向いている

「私の事を見ていない」

そう感じていました。

なので怒られてても
理不尽に怒られている
という感覚でした。

いつも怒っている両親とは
心の距離がとても遠くて

自分の事はおちゃらけた
話ししかせず、
本心は話せませんでした。


だから、
私が事故や事件に
巻き込まれた時も
親には黙っていました。

きっと言ったら
(怒られる)

そう思って怖くて
言えなかったのです。


ずっと長い間
誰にも言えず
一人で苦しんできました。


当時、親との距離が
もっと近かったなら、

私を大事にしていくれている
という事が
伝わっていたなら

親とたわいもない話しをする時間を
もし持てていたなら

私は、親に言えたのかもしれない。

そういう気持ちを
抱えたままです。


だから子供のサインを
見逃したくない

子供がもし苦んでいたら
話してもらえるように、

辛い思いをしていたのなら、
危険なめに遭っていたら、
もし助けて欲しいと思っていたなら


話して欲しい

その「話せる時間を作りたい」と
望んで
子供達と話す時間を
取っているのだと
気づきました。


幼かった時の
自分の「HELP」を
今の自分が受け止めて
あげるように


子供にそうしてあげたいと
思っているのだと思います。


もちろん、
私は器の大きい
お釈迦さまでも
人間が出来ているわけでもないので、


様々なことで子供達を
感情的に怒ったり
言葉で傷つけてしまったり
しています。

でも、それでも
いやそれだからこそ
いざという時に
何でも話してもらえるように

心の距離を、
信頼を
保っていたい

ただただそう思って
子供との時間を優先に
出来るように
生活を整えています。


物販を始めたのも
投資を始めたのも
子供を優先にしたかったから
始めました。


時間と場所の自由がきくというのは、
自分で何を優先にして生活したいのかを
選べるという事です。

私にとっては
それは、彼らが生まれた時から
子供達と過ごす時間なのです。

何を優先にしたいか
それを達成するためには
どうしたらいいのか?

それを常に考えて
そこから生活を組み立てて
います。


まずは何を軸にしていくのか?
そこを決めて
設計図を描いていくことが
始まりなのではないでしょうか。


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【息を引き取ったって聞いて、会いたい気持ちが溢れてくる残酷さ】

今の気持ちを綴らないと
吐き出さないと
どんどんやってくる
彼女との思い出や
後悔の念を上手に消化できそうになくて。
 
そして彼女の生きた証が
少しでも残って欲しいから
そのままを書き残しておきたい。
 
これは私から彼女への
ラブレター。
 
彼女は再発の癌だったけれども
いつも生き続ける事を
強く信じていた。
 
その強さや言葉に
私も
「きっと彼女なら回復する」
そう思って
疑わなかった。
 
だから彼女からのLINEで
「春になったら
会えるようになっていると思う」
 
という言葉も
「腫瘍マーカーが正常値になった」
という言葉も
 
ずっと前向きに捉えていた。
 
そしてここからは
私の後悔。
 
それを聞いて
「もう大丈夫」
と思った私は
 
人への気遣いをする
彼女の回復の邪魔にならないようにと
それまで頻回に体調の様子を
聞いていた連絡を
控えるようにしていた。
 
だからこそ
彼女が亡くなった事実に
すぐには気づけなかったし
まさかもう会えなくなるなんて
想像もしていなかった現実が
突然やってきた。
 
彼女がどんな
最期だったのか
私は知らない。
 
コロナでお見舞いが
禁止されてたりして
一人じゃなかったかな?
私が連絡を控えたことで
寂しさを感じたりしなかったかな?
と、その事が気がかりでしょうがない。
 
11月遠方に住む
彼女に会いに行った時も
放射線治療をしたばっかりで
体調がよくなかったので
会うことが出来なかった。
 
だから長い間
LINEだけで
彼女の表情や
実際の様子を私は見ていない。
 
(亡くなってから知ったのですが、
その時の
彼女は車椅子でもう歩けなくて
痩せていたそうです。)
 
そんな事も知らずに私は、
また会いに行こう
と、思っていたし
また会える
と、思っていた。
 
だから「また今度ね」
と、その時は言っていた。
 
それからも
元気になったら
あのお店にランチに行こう
一緒にまた旅行しよう
女子会を企画しよう
って想像しながら
過ごしていた。
 
大人になってからは
友達はなかなか出来ない
というけれど
 
本当にその通りで、
私が大人になり
経営者になり
 
何の縛りもない中で
出来た数少ない
同じ女性経営者、
同じ志を持った友達だった。
 
毎日ってほど
連絡を取り合ってた時期もあった。
 
彼女に嫉妬して
冷たくしてしまった事を
謝ったこともあった。
 
ビジネスの話しも
投資の話しも
恋話も
人生観も
 
たくさん話して
たくさん共感するところがあって
本当に大好きだった。
 
彼女の訃報を聞いてから
彼女と行った旅行で
大笑いしたあの笑顔を
何度も思い出す。
 
会いたい、辛い、悲しい。
そして悔しい。
 
皆さんの大事な人に
後悔しないように
連絡して下さい
 
なんてありきたりな事は
言えなくなりました。
 
きっとどんな
最期でも
大事な人を失うと
後悔するものなんだ
という事を
私は今回学んだからです。
 
人の命はとても尊い。
 
今でも一緒に
もう一回笑いたいと
願っています。
 
そして一緒に
どこかに
出かけたいと
願っています。
 
もう一度
会いたいと
願っています。
 
もう届かなくなってしまいました。
 
彼女は余命宣告される位の
癌ステージだったけど
いつも
びっくりする位
自分が「生きる」未来を
真っ直ぐ見ていた。
 
私も同じ未来を
見ていたと
思っていた。
 
だから正直とても悔しいです。
 
この世から
癌で亡くなる人がいなくなる日が来ることを
心から願っています。
 
彼女のご冥福をお祈り致します。
 
※写真は彼女と行った宮古島のホテル。
海に行きたいね。

【へっぽこ新人が身につけた高確率で新規案件を取ってくる方法】

私が
新規受注すら
出来なかったへっぽこ新人
だったにも関わらず、
数字を落とすことのない営業にまで
成長出来たのか?

なぜ、時間も使わず
高確率で受注を
獲得出来るようになったのか?

その方法について
余すことなく
書いていきます。

私の営業スタイルの土台には、
もちろん
『目標必達思考法』で
身につけた
めげない思考を確立出来ていた
ことがあります。

例え最初は
上手くいかなかったとしても
そのめげずに一つのことを
続けていくと、
そのうち様々な
自分なりの成功パターン
というものが出来てきます。

私が実践して一番
効果てきめんだったのが、
「人との繋がりで受注する」
です。

それは何か?

クライアントになる人の
周りには同業者の繋がりが
あります。

つまりは
同じ悩み、問題を抱えていることが多く
また扱う商品も同じということです。

クライアントになってくれている
ということは効果を実感している
ということなので、

そのクライアントの人脈を
使って潜在顧客を見つけるのです。

私は広告代理店で仕事をしていたので、
広告出稿をしてくれるクライアントを
探さなければいけませんでした。

私の就職した時期は就職氷河期、
そしてその後のリーマンショック、
さらにかなり高い値段設定の商品だったので、

新規開拓も大変でした。

飛び込み営業も行いますが
ストレスが多い割には
受注角度は低い手法です。

新規顧客の獲得は重要だけれども
骨の折れる業務でもありました。

けれどもその角度を劇的に上げる方法が
既存のクライアントからの
紹介だったのです。

業界は横で繋がっています。

ライバルでもありますが、
お互いに情報交換をして
よりよい工夫をするなど

人との繋がりはどこにいってもあるものです。

クライアントに
新しい顧客を紹介してもらうのは
相手への信頼性も一気に獲得出来ますし

さらに案件を持っていく
タイミングもばっちりなのです。

欲しい時に欲しい情報を
他の競合より早く
提供出来れば、必然的に
角度は上がるからです。

ビジネス、投資、銀行、
これは、何にでも通じます。

「紹介してもらえませんか?」
この一言を言うか言わないかで
人生大きく変わりますよ(^o^)

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【ココさんは今幸せですか?】

「ココさんは今幸せですか?」
と、音声相談の時に
ご質問頂くことが多々あります。

意図としては、
恋愛面の話しではなく
起業して莫大な借金をして
離婚を経験したからこそ

思い切った決断に
対しての

「今幸せですか?」

と言う質問だと
解釈していますが、

一言で言うと

「今やっとすごく幸せです!!」。

親の元にいた
10代の頃までは
過干渉な母と
抑圧的な父

そして夫婦仲は不仲で
常に喧嘩していて、

実兄とも
私は仲が悪く

家の中に居ることが
苦痛で中学生の頃から
家出を真剣に考えていました。

小さい頃から
泣くことを禁止され
時々祖父が
苦笑いしながら
語るのですが、

幼かった頃の私は
泣いたら
目の中に指を突っ込んで

ちびココ「泣いてない
泣いてない。これは涙じゃない」

と必死に涙を
止めようとしていた
そうです。

(私にはその記憶は
ないのですが
親が常に怒っていたという
記憶はあるので
正直、想像ができます)

その後
高校生の時に
パニック障害を発症
しましたが
誰にも打ち明けられず
センター試験さえも
受けられませんでした。

パニック障害も
快方に向かっていますが
いまだに暗い所や
狭い所、
自由に外に出られない場所
(飛行機など)では
とても緊張します。

長い間原因も分からず
恐怖に怯える日々を
過ごし、
若い頃は早死に願望が
強かったです。

30代は
結婚、出産を経験しました。

自分の親を反面教師にし、
「穏やかな生活を」
と結婚生活をスタート
させたつもりでしたが、

いつの間にか
相手の機嫌を気にし、
常に罪悪感を感じつつ
自分の感情に蓋をするような
生活になっていました。

洗濯機を回せば夫の機嫌を損ね
朝起きられなければ物に当たられ
私の大事な物は容赦なく捨てられ
喧嘩をすれば
「今すぐ出て行け」と
現金になるものは全て取られ
家の外にも追い出されました。

ある時は
お祭りの帰りに車に乗せてもらえず
幼児二人を連れて
慣れない土地で
夜道に上の子の手を引き
下の子を抱っこして
歩いて帰ってきた事もあります。

幼い時から
自分の感情に蓋をしていた私は
自分が我慢をしている事に
気ずいてさえいませんでした。

目の中に指を入れて
涙を堪えていた時と同じように
心の中の痛みを
ずっと押し込めていました。

それから体も心も壊れて
やっと我慢をしない生活を
送ることを考え始めます。

そこからは
自立する為に不用品を
売ることから始めて
物販に取り組み

大きなお金を
動かす為に起業、
そして融資にも
トライし
投資用の不動産を購入、

それから
別居を決断して
調停離婚を経て
現在は子供達と暮らしています。

そして今では
同じ経営者である
男性パートナーとも
一緒に暮らしています。

彼は私の横で一緒に
歩んでくれます。

上や下もなければ
コントロールするような事も
ありません。

二人で一緒に
子供達の事を考えて
ビジネスについても
お互いの意見を
話し合います。

とても穏やかで
私が私の感情のままに
生きていけるように
なりました。

もう目の中に指を入れて涙を
堪えたり
自分の素直な感情に蓋をしたり
するような日々も
なくなりました。

40歳になって
やっと自分の人生を
自分自身で歩めるように
なった気がします。

いい夫婦の日

と言う事で
自分の家族について
振り返ってみました。

幼い時は両親の顔色をうかがい
結婚したら夫の顔色をうかがっていた
数年前までの私。

わがままに生きる事は
いけない事だと
思っていました。

自由に生きてはいけないと
思い込んでいました。

自分の事を
受け入れられない長い年月を
過ごしてきましたが、

小さな「大丈夫」を
重ねて
今自分を信じる事が
出来るようになっています。

今後は、
世の中の幼い子供達
そして我慢を強いられている
女性達が我慢をしなくて
すむように
少しでも私の経験が
役に立てたらと考えています。

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【仕事も融資も自分のモチベーション次第でもある】

銀行とのお付き合いは
担当エリア支店ではなく、


◯◯銀行そのものと
付き合うのがミソです。


理由は次の3つで、
一つ目の話しを
前回書きました。

・2から3年で支店長は異動する
・自分と合う担当が大事
・銀行は縁故を大事にする


今回は
・自分と合う担当が大事
についてです。


人には相性があります。

私にとって
良き担当だと
思っていても

他の人にとっては
苦手なタイプという事は
往々にしてあります。


大人社会なので
毛嫌いする程の事は稀だと
思いますが、


話しやすさ
話しのテンポ
話しの通じやすさ
雰囲気


など
波長が合う人と
合わない人とは
どうしてもいます。


私はフリーランスになり
自由に意思決定が
出来るような
環境になりました。


フリーランスになり
一番のメリットが、


「人間関係」が選べる
という事だと
思うのです。


ビジネスでも
銀行融資でも


気をつかってまで
お付き合いする必要は
ないと思っています。



嫌いな人と付き合うな
というわけではなく、


どうせなら
気の合う人と
お付き合いした方が


銀行融資も早く結果が
残せるという話しです。


それは何故か?


自分自身の
モチベーションが
苦手な人相手だと
下がります。


そうなると銀行へ行く事が
億劫になるのです。


それだとどうなるのか?


もちろん、融資がおりません。

商談へ行かずして
融資獲得は
まだまだ私達のような
ノミの会社では早すぎます。



銀行と
コミニュケーションを
取る事は融資の第一歩です。


行かなければならない
「でもあの担当は苦手だ」
と思うのであれば、


他の支店の人と
お付き合いを
してみましょう。


まずは
融資抜きでです。


既に融資が出ている
支店から移るのは
出来ませんが


融資が出る前であれば、
事情があれば可能です。
(銀行にもよりますが)

気の合う担当者だと
こちらもリラックスして
話せる分、


アピールがしやすいので、
断然融資が
出やすくなります。


AI社会が到来しても
人と人の繋がりが
無くなる事は
ありません。



幅広く銀行の方と
お付き合いされてみて下さい。


人がお金を
運んでくる事を
忘れずに(^ ^)


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ノウハウコレクターから
卒業出来る「目標必達思考法」
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迷惑フォルダにも届いてない場合、
お手数ですが再度登録の程
お願い致します


【銀行付き合いの幅は狭めるのではなく広げる】

銀行とのお付き合いは
担当エリア支店ではなく、


◯◯銀行そのものと
付き合うのがミソです。


理由は主に3つ

・2から3年で支店長は異動する
・自分と合う担当が大事
・銀行は縁故を大事にする



お付き合いのある
銀行にいくつ支店があるか
ご存知でしょうか?


優秀な支店長は2年と短い期間で
異動します。


回転がとても早く、
3、4支店を担当した後は
本部へ行くか
そのまま昇級出来ないか


という世界です。



将来的に
誰が役員になるか?


なんて誰にも分かりません。


であれば、
全ての支店長に
ご挨拶しているだけでも
チャンスは生まれるのでは
ないでしょうか?


また今は担当エリアの
支店長でなかったとしても
いつ自分のエリアに


配属になるかは
分かりません。



ですので、
「融資を出してもらえないから」


という理由で
わざわざチャンスの
幅を狭めるのは
もったいない事だと思います。



もし銀行の支店が
総合で40行程
だった場合


2年で回転したとして
もし10人の支店長と
知り合いになれば、


半分の確率で
既にお付き合いが
ある支店長となります。


今地方銀行は
支店自体が減っています。


また合併を政府が
後押しもしているので
ますます
銀行の競争は
激化していくと思います。


担当エリアのみではなく、
幅広く銀行と
お付き合いされる事を
おすすめします。


長くなりましたので、
次の点については
また次回^ ^

【運の良さで10倍の融資が降りることもある】

前回書いたお話の続きです。


私が電話口で

公◯担当
「どう考えても300万が
せいぜいだと思いますよ」

と言われたにも関わらず
運良く3000万越えの
融資を着金させたか
について書いていきます。


この融資は
コロナ融資でした。


そう通常とは別の、
急に政府から降りてきた
特別な融資です。


世界同時に起きた
パンデミック。


前代未聞の事態に
対処する為に
緊急で始まりました。


とにかく走らせろ!
と言う感じで、


見切り発車で
スタートした
持続化給付金と
コロナ融資でした。


ここがミソなのですが、
上から急に
現場に新しい施策が
降りてきたのです。


もし<< Test 名 >>さんが
保証協会や
決済者の立場だったら、
どう思ったでしょうか?


最初は混乱したはずです。


今まで扱ってない案件です。
それは事例がないと言う事です。
つまり経験がないと言う事です。


さらにあまり情報がない、
その中で決済をしなければ
いけないとなった時

<< Test 名 >>さんは、
バンバン融資の決済を
おろしますか?


多分最初は慎重になると
思います。


自分がやったことのないことを
短期間のうちに
しかも情報がしっかり
伝わってこない前に
決済しないといけないのです。


判断基準のないまま
誰にでも貸す事は
正直怖いことです。


今回は、業績の悪化に
対する融資なので、
いつもと基準すら異なっていた
はずです。


その中で決済を
下ろすのは難しい
のではないかと
考えました。


なので、
私は世の中の情報を
みながら、


政府の意向が
しっかり決まり、
その意向が現場に降りてきたであろう


タイミングで
公◯へいきました。



あまり遅いと
逆に国の予算が
足りなくなってしまう


予算の終わりが
見えてきた時に
行けば、それもまた
条件が厳しくなるはずなので、



最初の段階ではあるものの
現場が決済に慣れてきた
であろう頃合いを
みて、公◯へいきました。



予算の額と中小企業の
数を確認しました。


予算が大きな額であれば
あまり融資が出ていない
タイミングで


現場には上から
「もっと融資を出しなさい」


とプレッシャーが
かかるはずだと思った
からです。


しかも日々聞こえて
来るのは、人で不足の声、

ある程度の
スピード感も求められる状況
の中、人手不足となれば、



決済までの
段取りもだいぶ
簡易的になっている
はずなので、

きっと
担当者一人あたりの
判断が尊重されやすいのでは?
と、思いました。




そこで
遅すぎず早すぎず
のタイミングを
狙っていきました。


「そんなんで
融資の額が変わるの?」
と思われる方も
いらっしゃるかと
思いますが、


実際に
後から公◯へ行った
経営者仲間の
話しから


「ココちゃんが
公◯へ行ったタイミングが
一番融資を出してたって
公◯の人も言ってた」


と教えてもらえたので、
やはりタイミングを
図る事は大事だと思いました。



ビジネスも人付き合いも
恋愛も銀行融資も


相手の状況を
知ることや考えることに
よって、良いタイミングで
お付き合いする事が
出来るのではないでしょうか。



良いタイミングとは
お互いにとって
「良い」=メリットがある
と言う事です。



運を良くする事が
出来ると思います。


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【運が良くなるにはコツがある】

運の良さはある程度
コントロール出来ると
思います。


運の良さと言うのは
つまりは「タイミングの良さ」
と言い換える事が出来るのでは
ないでしょうか?



そう思えれば、
自分の意思で
運を運べる気がして
きませんか?


恋愛、投資、
銀行融資も
普段のちょっとした
生活の中でさえも


タイミングが変われば
結果が大きく異なる
事は沢山あります。


恋愛もお互いの
タイミングが合ったからこそ
始まるはずです。



「好きになるのにそんなの
選べない」って思われる
かもしれませんが、


お互いのタイミングが
合ったからこそ
出会えたのであって
発展したわけです。


お互いのタイミングが
違っていれば
その先まで続く事は
なかったはずです。


人にお願い事をする時も
忙しい時ではなく
お願いを聞いて
もらえそうな時に
話しを持ちかける、


売り上げの締め日に
話しを聞く
(割引率が高かったりします)
など



物事には
タイミングがあります。


そしてそのタイミングを図る事で
運が良い結果に、
得をする結果に、
持っていけるのです。



では一体、そのタイミングを
図るのにはどうしたら良いのか?


一気に書いてしまいますが、
そのコツは相手をよく
見てよく知る事です。


取引先のことを知る


銀行のことを知る


恋愛相手のことを知る


不動産事情を知る


相手の立場を知り
動く事で運気を
上げる事が出来るのです。


情報はそうやって
蓄積し使っていく事で
有効になっていきます。



一見無駄かな?
って思う事も
そんな事はないものです。


様々な情報を元に
相手の立場になって
考え動く事で、


ラッキーな場所に
身を置けるようになります。


私が実際に
「よくて300万」だと
担当に電話口で
言われた融資が


蓋を開けてみれば
3000万超え
(10倍?!)で
決済が下りたのも


私のトークが
天才的に冴えていたわけではなく
(むしろ詰められまくって
始終タジタジ、モゴモゴ、脂汗、冷や汗ゴーゴー)


強い人脈があったわけでもありません。
(初対面むしろ電話のみ)


ただの運の良さの
結果でした。


あまりにも酷い
電話での受け答え
だったので、
本当にタイミングが
ズレていれば


300万も降りなかったと
思います。


担当との
電話を切った後


ココ「終わった・・・」
(イメージとしては、

明日のジョーが真っ白になった
時の感じです)

と、肩を落とした程です。


一体全体、私の身に
何が起きたのかは
次の回にて^ ^