去年私は「離婚」を経験しました。
「モラハラ(精神的DV)」 という言葉を知ったのは
もう別居まで決意した後だったと
記憶しています。
「モラハラ(精神的DV)」という言葉が
今のように浸透しだしたのは
ここ数年のことでは
ないでしょうか。
それまでは、夫が妻に対して
例え威圧的だったとしても
亭主関白であったり
日本男児のような
男性本位な考え方が
受け入れられていて
何の疑問ももたなかった時代でした。
私も「自分が悪いんだ」
「我慢が足りないんだ」と
思い続けていました。
けれども自分の心を無視
し続けたところで
幸せを感じる日々が訪れる
事はありませんでした。
むしろどんどん
エスカレートしていく
相手の要求に
無理が重なっていくだけでした。
その無理に対しても
限界が訪れた時
これは無茶な事なの
かもしれないと
気付き始めます。
そしてだんだん
自分の事を
見つめられるようになり、
やっと相手への
不信感が生まれました。
自分の感情や要求を
押し通して相手と
トラブルになるよりも
「受け入れる・従う」
という方法しか私は
知りませんでした。
そういう思考にこそ
DV被害者だと
気づきにくい要因が
含まれているのだとも思います。
体や心が限界を迎えて
自分に向いていた
自虐行為から
相手への
不信感に変わり、
そこで初めて
周りの人に
話すことが出来るように
なりました。
私は離婚を決意するまで
一切(当時の)旦那さんの
愚痴や文句を周りに
言ったことが
ありませんでした。
それは、相手の「プライドを
傷つけたくない」であったり
「悪者にしたくない」
であったり「 報復が怖い」であったり
様々な事からでした。
DV被害を受けている・受けていた人に
対してかけられる
「早く逃げなよ」であったり
「どうして逃げなかったのか?」
や「何でそんな人を選んだのか?」
という言葉は二次被害を
うみます。
何が良いとか悪いとかを
伝えたかった
わけではなく、
「どうして逃げらなかったのか?」
という疑問に対して
「受け入れる・従う」という
解決方法しから知らない場合が
あるという事を知って欲しいなと
思います。
「どうして逃げないの?」
ではなく
「それ以外の選択肢もあるんだよ」
という事を教えて
もらいたかったと思っています。
私は別居後に
初めて警察へ相談へ行きましたが、
警察「殴られていなくても
怖いと感じたら警察を呼んで良い、
すぐに逮捕となるわけでもないから
相手が職を失うという事もない」
と教えてもらいました。
そんなことも知りませんでした。
殴られてなければ
DV被害者でもないし
警察を呼べば
相手が失脚してしまうかも
しれない、
でもそういう事がしたいのではなく、
「ただただ怖いだけ、
だけど
どうすればいいのか分からない」
という状態だったのです。
勇気を持って外に言えるように
なったとしても当事者本人が
様々な理由で思うように
動けない状況だったり
自分でもどうして良いか
わからなかったりします、
そんな時にかけられる言葉は
「早く逃げなよ」
よりも
「解決方法が外にもある」
という事を教えてもらう事が
何よりも大事なのです。。
興味本位や離れた場所から
投げかけられる言葉は
傷ついた心にさらに追い討ちを
かける事があります。
最近とても悲しい事ですが
SNSで誹謗中傷を元に
自殺された有名人の方が
いらっしゃいました。
一方的な攻撃を受け続ける
事により自分を無価値だと
思い込み、相手の言い分を
「受け入れてしまう」
という形が自分の時と同じ構図
なように感じ
今回この記事を書きました。
相手への報復を望まず
「受け入れる」という事で
内に向かってしまっている
人達がいます。
その選択が良いとは
決して思いません。
「受け入れよう」としても
限界を超えた時、
一気に壊れてしまう程
自分自身が気づかずに
抱え込んでしまっている
時があるのも事実だからです。
もしそんな人が
苦しい胸の内を
話せることがあったら
「早く逃げなよ」や
「何で逃げないの」
などではなく、
自分自身を犠牲に
しなくても良いことや
自分が声を上げることが
相手への報復攻撃と
イコールではないという事
それを教えてあげて
欲しいと思います。
追い詰められてる人に
当事者を攻めるような
言葉はさらに追い込みます。
「自己責任」
などではなく
当事者本人では思いつかない
他の解決方法や
助かる方法を一緒に
見つけていけるような
優しい社会になったらと思います。
