何を優先する人生にするのか?から組み立てていく

子育ては良くも悪くも
自分の子供時代を
踏襲します。


向き合いたくない事にも
向き合わなければ
いけない時もあるので、

その時は
とても苦しい気持ちになります。


私は毎晩
子供達と一緒にお夕飯を食べ
子供達が寝る前の30分から1時間を
一緒に過ごすようにしています。


始めは
「どうして、私はそうしたいのだろう?」

とよく分かっていなかったのですが、
そこを掘り下げていくと
自分の子供時代の記憶に
基づいている事に
気づきました。


私が育った家は
家族の団欒があるような
家ではありませんでした。


むしろ夫婦仲が悪く
いつも両親は
お互いのせいにして
怒ってばかりでした。

聞こえてくる
喧嘩の内容の
ほとんどは
子供のことでした。

父が母を怒る、
母は父に怒られるから
子供を怒る

そういう構図は
子供心にも
見て取れました。

だから母は子供の方を
向いているのではなく、
父の方を向いている

「私の事を見ていない」

そう感じていました。

なので怒られてても
理不尽に怒られている
という感覚でした。

いつも怒っている両親とは
心の距離がとても遠くて

自分の事はおちゃらけた
話ししかせず、
本心は話せませんでした。


だから、
私が事故や事件に
巻き込まれた時も
親には黙っていました。

きっと言ったら
(怒られる)

そう思って怖くて
言えなかったのです。


ずっと長い間
誰にも言えず
一人で苦しんできました。


当時、親との距離が
もっと近かったなら、

私を大事にしていくれている
という事が
伝わっていたなら

親とたわいもない話しをする時間を
もし持てていたなら

私は、親に言えたのかもしれない。

そういう気持ちを
抱えたままです。


だから子供のサインを
見逃したくない

子供がもし苦んでいたら
話してもらえるように、

辛い思いをしていたのなら、
危険なめに遭っていたら、
もし助けて欲しいと思っていたなら


話して欲しい

その「話せる時間を作りたい」と
望んで
子供達と話す時間を
取っているのだと
気づきました。


幼かった時の
自分の「HELP」を
今の自分が受け止めて
あげるように


子供にそうしてあげたいと
思っているのだと思います。


もちろん、
私は器の大きい
お釈迦さまでも
人間が出来ているわけでもないので、


様々なことで子供達を
感情的に怒ったり
言葉で傷つけてしまったり
しています。

でも、それでも
いやそれだからこそ
いざという時に
何でも話してもらえるように

心の距離を、
信頼を
保っていたい

ただただそう思って
子供との時間を優先に
出来るように
生活を整えています。


物販を始めたのも
投資を始めたのも
子供を優先にしたかったから
始めました。


時間と場所の自由がきくというのは、
自分で何を優先にして生活したいのかを
選べるという事です。

私にとっては
それは、彼らが生まれた時から
子供達と過ごす時間なのです。

何を優先にしたいか
それを達成するためには
どうしたらいいのか?

それを常に考えて
そこから生活を組み立てて
います。


まずは何を軸にしていくのか?
そこを決めて
設計図を描いていくことが
始まりなのではないでしょうか。


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「離婚」という選択肢は正解なのか?

依存できる人に依存するのは
幸せな事だと思います。




誰かに依存出来る事は良い、
でもただ誰かへの依存があなたの
制限になってはいけないと
私は思います。




私はかつて勘違いをしていました。




「母親なのだから子供の為に我慢しなさい」


母親になったのだから
子供を生んだ一つの条件として
「我慢」して生活を続けなさい



それはなぜか美徳として
いつの間にか染み付いていた
一つの価値観でした。



心は「苦しい」って
何度も何度も悲鳴を
あげていたのに。




それでも「子供の為に」
という蓋が感情に
覆いかぶさっていて



わけも分からない重さが
体中に心の中に
降り積もっていきました。



でもそれに
気づかないふりを
続けていました。



気づかないふりを
続けた結果、
ふと気づいた時には



もう重しを持ち上げる力は
残ってはいませんでした。



そうして私の心は
仮死状態となり



暑さも寒さも
喜びも悲しみも



何も感じる事が
出来無くなっていました。



何も美味しくない
何も楽しくない



直立不動で立っていないと
全てが崩れていくんじゃないかって、



だから何も感じないふりを
続けていました。




何かを話せば
怒られ
何か行動すれば
怒られ



気にくわないことがあると
理由も話されず無視され続ける



小さな箱の中に
入れられたように
出口もなければ
逃げ道もない日々でした。



だから、
膝を抱えて
うつむいて


私の周りにある
箱の存在に
気づかないふりをしているしか
選択肢がなくなっていたのです。



この箱の中から出る事は



子供達から「父親」を奪うこと
子供達から輝かしい未来を奪うこと
子供達の心を傷つけること



家にいることが
苦痛で苦痛でしょうがなかった
としてもその箱を開ける恐怖を
選べずにいました。




私が日々考えていたことは
「殴ってくれたらいいのに」
ということ。



「いつか殴られるんじゃないか
いつか殴られるんじゃないか」



と相手が怒るたびに
お酒を飲むたびに
恐怖を感じ続ける生活が続くよりも



暴力を受けて
お終いにしたかったのです。


実際に相手にも
「毎日怖くていっそ殴ってくれた方が
よっぽど良い」
と伝えたこともあります。



母親が「(誰かと付き合う時は)
一発でも殴られたら別れなさい」



と昔から言っていたから
かもしれません。



殴られさえすれば
この箱から出られる
そう思っていました。




でもそんな日が来る事はなかった。



だからすごく怖かったけど、


やっぱり立ち上がろうと
何度も諦めようかと
思いながらも



立ち上がるべきだと思い
少しずつ
本当に少しずつ行動を
していきました。




何度選択を変えても良い
立ち止まって
振り返ってみても良い



自分の気持ちが楽な方へ
幸せになれる方へ
足を向けて



進めていければ
それだけで
花丸なんだと思います。



人生は続いていくから。






別居して1年が経ちました。


行動する前は
子供達にとって
「離婚」
という決断が良かったのか
悪かったのか



その答えは死ぬ直前まで
分からないんだろうなって



思っていましたが、
今こうなってみて思う事は



自分に正直に生きて良かった

ということです。



ただそれだけは正しかったと
子供達にも責任もって
胸を張っていこうと
思えるようになりました。

完全試合終了の鐘はまだ聞こえなかった

10代20代なんてパニック障害で
人生半分終わってたし


30代は結婚生活で
大クラッシュしてた。



でもまだ完全試合終了の鐘は
鳴ってなかったようで、


今子供達と一緒に暮らせてて
子供最優先で生活を送れてる。




子供の学校行事には全て
参加出来るし子供が体調を崩しても
側に居られる。



男性社会で雇用されてた時代があって、
311があって、モラハラを受けてた時期があって、

世の中に絶望したり

「もういいや」って諦めたり

思考停止になったりって。。。


そういう気持ちが本当によく分かる。


だからこそ、
【腐らずに諦めずにいたい】

って思う
気持ちを持っている人を
応援したいって心から思う。



気持ちが一番大事だから
その気持ちを持ち続けて欲しい、
その一端の力に少しでもなれたらって。


皆で腐らず生きていこう。


思い通りにならない部分は
どこかって事をきちんと理解すれば、


過度な期待やそれに伴う
不安感もなくなって、



「じゃーこれからどうやって
前に進めば良いかな?」


って建設的な思考になれるはず。



明日への希望が持てる事って
本当に素晴らしい。



生きてくから
これからもきっと生きていくから
前向きがやっぱり良いんだよね。



楽観的でなくて建設的であるべきだと。



私はそう思っています。