トゥルルルル トゥルルルル
ママ友とランチをしていたら
手元のスマホに
(着信画面)
◯◯銀行 ◯◯◯支店
という表示が。
ココ「ん?担当かな?」
と思いおもむろに出てみると、、、
ちょっと声が違う
話し方も違う(困惑)
と思っていたら
「◯◯◯支店の◯◯です」
ココ「支店長ですか?!」
支店長「はい、先日の飲み会では・・・」
と、支店長直々から
飲み会参加のお礼のお電話を頂きました。
銀行は10月は役員クラスの人事異動
の時期です。
昇格や栄転などが
ある場合にはプレゼントを
送るようにしていますが、
いつもちょっとおしゃれなボールペン
にしています。
接客業の方はボールペンは何本あっても
邪魔にならないですし
好みの差も出にくい
小物&手軽なのでオススメです。
辞令から異動まで数日しかない事が
多いので、9月の決算シーズン後も
銀行に顔を出されておくと良いですよ。
会社まで旧支店長と新支店長が
挨拶に来るようなリレーション
(銀行内格付け)が
取れていたら花丸ですね!
反省の為の記録
ずっと含み益を引っ張っていた株があって
本当に想定した通りに動いて
くれたので、
昨日の時点で
「明日利確しよう」
と決めていたのですが!!!
いざいざいざ
今日になって利確しようと思ったら、
手が、手手手手手がぁぁぁぁぁぁ!!!!!
(利確)ボタンを
押せない。
(もう少し引っ張っても
良いかもしれない)
なんて欲が邪魔してしまってるんですよね。
結果、欲に打ち勝つ
頃にはかなり値を下げて
しまいました。
利確の難しさを改めて実感しました。
含み益なのでどの時点で利確しても
利益確定なのですが、
相場に入るタイミングも
出る(利確)するタイミングも
想定出来なければ
いつまでも
投資ではなく、
投機になってしまうので、
今後もその点の精度を
上げていきたいなと
強く思いました!
#株は自分との戦い
銀行と上手くいくと経営が上手くいく
累計融資額が億を超えました。
事業融資、不動産融資、セミナーと
毎日って程銀行とやりとりしていて
今月はそれだけで忙しいです。
担当と話す機会が
増えれば増える程
融資がおりるのは、
経営内容が見えるから。
銀行と仲良くしていると
とても良い条件での
融資提案も
回ってきます。
今回も元本返済五年据え置き、
(更新制)
資料も私が用意する物は
試算表だけで、多額の
融資が短期間でおりました。
銀行には借りずとも
足を運ぶようにすれば
自ずと融資の機会が増えます。
つい先日
初めて銀行担当から
驚く提案まで頂きました。
ココの心の声
(わわわわわ!!!
銀行側からそんな提案あったり
するんですか?!驚)
というバズーカ提案を頂きました笑
経営の次のステージを
見せてもらったようです。
経営者ってこうやって
資産を築いていくのだなという
銀行からの提案。
この先にももっと
ぴよぴよの
私なんかでは
知らない世界が
広がっているのかもしれません。。。
銀行と仲良くすることは
「生き残る会社経営」を
するには必要不可欠なことだと
改めて思いました。
体のコンプレックス
どうもこんにちは、
耳たぶ 太子(フトコ)です。
昔から何度ピアスに挑戦しても
耳たぶが太すぎて、
ピアスの穴が完成する前に
ファーストピアスが
取れてしまうという
悲しいエピソードの持ち主です。
おまけに肌も弱いので、
ピアスだとアレルギーの
リスクも出てきてしまいます。
なのに
ピアスの方が可愛いデザインが
多いので、
穴が開いてないのにも
関わらず、
憧れてピアスを買っていた
時期もありました。
そんな中、イヤリングだと
オールオッケーという程
現実は甘くもなく、
優しく包み込むタイプ(樹脂製)は
落ちてしまい
すぐに無くしてしまう事が
何度もありました。
もはや
写真のようにしっかりと
ネジで留める
イヤリングしか付けられません(涙)
筋金入りの
耳たぶ太子なのです。
耳たぶだけはダイエットも
出来ないので、この宿命を
受け入れて今日も生きていこうと
思います。
「離婚」という選択肢は正解なのか?
依存できる人に依存するのは
幸せな事だと思います。
誰かに依存出来る事は良い、
でもただ誰かへの依存があなたの
制限になってはいけないと
私は思います。
私はかつて勘違いをしていました。
「母親なのだから子供の為に我慢しなさい」
母親になったのだから
子供を生んだ一つの条件として
「我慢」して生活を続けなさい
それはなぜか美徳として
いつの間にか染み付いていた
一つの価値観でした。
心は「苦しい」って
何度も何度も悲鳴を
あげていたのに。
それでも「子供の為に」
という蓋が感情に
覆いかぶさっていて
わけも分からない重さが
体中に心の中に
降り積もっていきました。
でもそれに
気づかないふりを
続けていました。
気づかないふりを
続けた結果、
ふと気づいた時には
もう重しを持ち上げる力は
残ってはいませんでした。
そうして私の心は
仮死状態となり
暑さも寒さも
喜びも悲しみも
何も感じる事が
出来無くなっていました。
何も美味しくない
何も楽しくない
直立不動で立っていないと
全てが崩れていくんじゃないかって、
だから何も感じないふりを
続けていました。
何かを話せば
怒られ
何か行動すれば
怒られ
気にくわないことがあると
理由も話されず無視され続ける
小さな箱の中に
入れられたように
出口もなければ
逃げ道もない日々でした。
だから、
膝を抱えて
うつむいて
私の周りにある
箱の存在に
気づかないふりをしているしか
選択肢がなくなっていたのです。
この箱の中から出る事は
子供達から「父親」を奪うこと
子供達から輝かしい未来を奪うこと
子供達の心を傷つけること
家にいることが
苦痛で苦痛でしょうがなかった
としてもその箱を開ける恐怖を
選べずにいました。
私が日々考えていたことは
「殴ってくれたらいいのに」
ということ。
「いつか殴られるんじゃないか
いつか殴られるんじゃないか」
と相手が怒るたびに
お酒を飲むたびに
恐怖を感じ続ける生活が続くよりも
暴力を受けて
お終いにしたかったのです。
実際に相手にも
「毎日怖くていっそ殴ってくれた方が
よっぽど良い」
と伝えたこともあります。
母親が「(誰かと付き合う時は)
一発でも殴られたら別れなさい」
と昔から言っていたから
かもしれません。
殴られさえすれば
この箱から出られる
そう思っていました。
でもそんな日が来る事はなかった。
だからすごく怖かったけど、
やっぱり立ち上がろうと
何度も諦めようかと
思いながらも
立ち上がるべきだと思い
少しずつ
本当に少しずつ行動を
していきました。
何度選択を変えても良い
立ち止まって
振り返ってみても良い
自分の気持ちが楽な方へ
幸せになれる方へ
足を向けて
進めていければ
それだけで
花丸なんだと思います。
人生は続いていくから。
別居して1年が経ちました。
行動する前は
子供達にとって
「離婚」
という決断が良かったのか
悪かったのか
その答えは死ぬ直前まで
分からないんだろうなって
思っていましたが、
今こうなってみて思う事は
自分に正直に生きて良かった
ということです。
ただそれだけは正しかったと
子供達にも責任もって
胸を張っていこうと
思えるようになりました。

ハレクラニステイ レポートラスト!(朝食編)
間があいてしまいましたが
ハレクラニ沖縄 朝食編です!
これだけは時間が経った後でも
どうしても言いたかった笑
朝食は
ビュッフェ形式のレストランか
テーブルオーダーのレストランか
の2パターンから
選べました。
我が家は迷わず
テーブルオーダーのレストランへ。
朝食からテーブルオーダーで
食事が出来るのは、
小さな子供たちがいる
我が家には嬉しいシステムでした。
ルームサービスでもビュッフェでも
子供たちにサーブして、
テーブルの上のスペースを
常に気にしながら
食事やドリンクを取りに行き、、、
という事をやっていると
忙しくて
正直食べた気がしません笑
その点食事も
終わったら下げてもらえるし
ドリンクのお代わりも持ってきてもらえる、
子供たちのリクエストにも
スタッフの方々含めて一緒に
サポートしてもらえるような状態なので、
テーブルオーダー制での食事は
朝からかなり快適でした。
レストランに
入るまでは待ち時間が
長かったのですが入ってしまえば
料理のサーブも早く
時間をかなり有効に使えました。
その後もプールへ行き
クタクタになるまで
遊び倒した1日となりました^ ^
ハレクラニ沖縄のレポート
これにてお終いです!