本を人生の友達として子供に贈る子育て1

私は小学生の頃
本を読むのが
好きでした。

書いても走っても描いても
賞状一つもらった事もなく

<取り柄なんてない>

子供時代だったけれど、
本だけは好きでした。


その理由もすごく単純で
学校の図書館で本を借りる時に


手書きで本の名前や借りた日、
返す日を書く紙のカードが
あったのですが、

そのカードが
一杯になり次のカードが
追加されていくのが楽しかった、

ただそれだけの
理由でした。


いつの間にか
私は「このカードの枚数を
学年で1番にしよう」

と志すようになっていき
休憩時間には
毎日のように図書館に通うように
なっていました。


ただどの世界にも
ライバルとは
存在するようで、

私の他にもう一人同枚数を
常に保持している
カードがありました。


当時の私はその見えない
ライバルに一人勝手に

「そのカードさえ抜けば
目標達成できる!」

(今思い返せば
図書室の先生が
ライバルがいる事を
常に意識させていた気がします笑)

というモチベーション
のおかげで
本を読む事を楽しく
続ける事が出来ました。

子供のモチベーションなんて
とても単純なものです笑。

その時に
「本をどういう風に
利用すれば良いのか」
ということを得られた
おかげで、


教科書に興味が
持てなくても

漫画の四コマ漫画で
ことわざを
覚えるであったり

自分の興味を
持った切り口から
勉強に入れる
事を学ぶ事が出来ました。


文章が
大体どこを読めば
何が書かれているか
パターンが把握
できるようになるので、

長文を見た時の最初の
「うわっ」
という抵抗感を薄める事が
出来るようにも
なったと思います。


自分の興味のある
分野から知識を
得る事が出来るので
知識をつける事が
苦じゃなくなります。


なので情報を能動的に
取りに行く事が
出来るように
なれたと思います。


子供達にも本は好きに
なってもらいたいという
思いがずっとあって、


「どうやったら
本を好きになるのか」


という視点で
私は子供達が
小さい頃から
接してきました。

続く

〜親子でスキルアップ
親の経験が子供のスタートアップ〜

生き様で魅了する大好きな人


家族の健康って何よりも
大事に考えているのですが、

祖母から教えてもらった
見えないところでの
彼女らしい「家族の守り方」を

教わった事があります。



数年前、(当時の)旦那さんの転勤に
ついていき、親戚も知り合いも
いない土地で
築40年越えの社宅で
生活していた時、
肺炎になりました。


子供が小さかった為に
入院を断ったので、


無理をさせてしまう
と思いつつ
流石に「無理かもしれない」
と母に連絡。


すると連絡を受けた
母が祖母と二人で
すぐに駆けつけてくれました。



「肺炎は死ぬかも
しれないんだから
寝ておきなさい」


と、気遣ってくれた事が
本当にありがたくて、
寝床でそっと泣いたのを
覚えています。


少し起き上がれる
ようになってから祖母を手伝う
形で一緒にキッチンに
立ちました。


すると祖母が築40年の
結構年季の入ったキッチンを
洗い物を洗った流れで、



当たり前のように
汚れた排水溝に
素手を奥まで突っ込んで
きれいに洗いだしました。


「ここが汚れていると
家族が病気になってしまうから
ちゃんと綺麗にして
家族を守るのよ」

と言いながら。

汚い場所にも
躊躇する事なく
颯爽と手を突っ込む姿は

「すごくかっこいい」

と思いました。



そしてその言葉を聞いた時、
「あー、こういう想いで
私たちの事も
守ってきてくれたのだな」と
祖母の深い愛情を
改めて感じる事が出来ました。




今でも排水溝の汚れを見ると
一瞬心が折れますが、


そんな気持ちも
祖母の言葉と
あの時の姿で


「今私は家族の健康
を守っているんだ」

という
一種のヒーロー的な
気分に変換されます笑


祖母は私に愛を教えてくれた人で
今でも彼女らしい生き様で
私を魅了し続けています。


家族を守る愛を大事にしたいなと
ふと思いながら今日も排水溝を
洗うのでした。


重度アトピーの乳飲み子を抱え乗り越えた物販立ち上げ時の秘訣

物販を始めようと思った時
私はボスを生んだ直後でした。
 

  
ボスは生まれてすぐ
湿疹が出てきて 

「乳児湿疹かな?」 

と思っていたら
どんどん酷くなっていき 

顔から始まった
湿疹があっという間に
全身に出てきてしまい

 
痒もでてきててそのまま
重度のアトピーになりました。 
 
 
朝も昼も夜も
痒くて痒くて
まだ短い手足で
全身を
掻きむしる我が子 

寝ていても起きていても
掻きむしるので

常に肌を撫でてて
あげていないと
血が噴き出してしまう
毎日でした。 
 
 
そんな中でも
もう旦那さんの事が
信じれられなくなっていた為 
 
 
最初のきっかけは
子供達に良い食べ物を
買う為のお金が欲しいという
気持ちからでしたが 

「もしもの為に」という
気持ちが日に日に増していました。 
 
 

けれども起業、別居、離婚を経て
自分の思い描く通りに
こうして道を進めたのは
決して私一人の力だけ
ではありませんでした。
 
 

自立するのは
もちろん自分自身の決断ですが、  


自分で全部抱えこむ必要は
ない事を知ってください。 

家事もして子育てもして
さらに稼がないといけないと
なるとどこかに必ずシワせよがきます。 

時間は有限なので当然です。

 
なので、今から自立を 
考えている人はまず
味方を作ることです。 

一人でも多くの味方を作ることです。 

一人でスタートするには
荷が重すぎます。 

私自身、重度のアトピーの乳飲み子と
まだ3歳にもならない幼児を
抱えてモラハラ夫に耐えながら
物販を見よう見まねで

 
続けてこれたのも
味方を作ったからです。

 
それこそ、
遊びに来た友達の手も借りました。

 
一番味方になってくれたのは、
実母です。

そう書くと仲良し親子のように
思われるかもしれませんが、

全くの逆で
私は母とは昔から折り合いが悪く
個人を受け入れるというよりも  


「自分が正しい」というような 
主張の強い人で、 
 
さらに時と場合によって言い分も  
コロコロ変わるのでいつも私は振り回され 、
昔から何度もぶつかりあっていました。

 
それでも、やはり私には
他に頼る人がいません。

 
どうしても母に味方に
なってもらう必要がありました。

食べ物のことでも
かなり母からの反発は
あったものの

  
「例え他の人が反対しようとも
お母さんだけは、
私の味方であって欲しい」

 

(他所の人のかかげる正論なんて要らない) 

と泣きながら懇願し
自分の本音を話せたことで 

その後は母も
一緒になって子育てに積極的に
なってくれ、 

私の子育てのやり方を尊重してくれるように
なりました。 

今でも銀行との飲み会や
出張の時なども
快く子供達を預かってくれて
送り出してくれます。 

時にはママ友に
助けてもうこともありました。 

子供を育てながら
稼ぐというのは、
立ち上げ時なんて
特に大変なので、

 
必ず周りに人が必要です。 

自分には頼れる身寄りはいない
という人もいまは
サポートセンターなど 

低料金でのサポートを受けれらる
制度もあります。 

一つやるだけでも相当大変な
家事、育児、ビジネスを
<一人で請け負う>
というマルチステージに
いかなければならなりません。

頼れる人には頼って
頼れない人には
頼らない!! 

(これ超重要です! )

まず最初に周りに
助けてくれる人、
そういう人間関係を構築することが

ビジネスを始める、自立する為にも
何よりも大事なことなのです。 

経営?銀行?ビジネス?何よりもシンママココが優先させているもの

ブログを開設するにあったって
自分の事を振り返ると


ココアカウントは
ビジネスアカウントだと
思っていましたが、
よくよく考えてみると

私のライフスタイルは
ビジネス優先ではなく
子育て優先だなという
事に気付きました。

私の主な仕事は
「子育て」

なのでブログタイトルも
【起業家シンママ】
ではなく

【シンママ時々社長】

という順番が正しいので
そう付けました。

元々私が起業した理由は

雇われている時間給と
子供と過ごす時間の価値を換算
した時に割りに合わないと
判断したことが根底にあります。

私は出産と同時に
会社を退職し
地元で出産しました。

それから社会復帰を
考えたのが長男パズーが1歳に
なる頃

「そろそろ保育園の事や
働きに出る事を考えなきゃな」

と思い

職を探してみたのですが

社会人歴が6年ほどしかなく
その後は子育てに入っていた為
その時点でブランクが
2年ほどありました。

また子供が熱を出した時や
体調不良、その他子供の行事などで
自由に休みが取れる

という条件で職を探すと

当てはまる好条件の
職を見つけることが出来ませんでした。

気持ちとしても
雇用されていてた会社員時代の
思い出があまり良いものではなく


人間関係、自分の力では
どうにもならない上下関係、

男性社会での女性の待遇(出世しづらい)
の悪さも感じていた為

雇用時代に戻る事にも抵抗がありました。

精神的なハードルの高さ
時間的拘束
経験値のハードル

これらを総合的に見ても
最低賃金での職探しになりました。

最低賃金というのは
働いている労働時間分です。

けれども実際は
移動や準備を含めるので
時給換算されない
前後の拘束時間が発生します。

それが前後1時間ずつだった
とすると
最低賃金×労働時間÷(労働時間+2時間)
となり、実際の時給(最低賃金の額)を
下回るなというのが私の見解でした。

となると、今のこの可愛い我が子の
成長とは引き合いに合わないな
と思いました。

また前後の拘束時間もそうですが、
予定を仕事を軸に組まなければならなくなるので、
どうしも仕事中心となります。

私の求めるライフスタイルは
子供中心

総合的に外で働きに出る選択肢は
無しだなとという判断になりました。

その後ネットで見つけた
自宅で出来る輸入販売の物販を
始める事にしました。

安定収入や予測が立てられないので
不安定な要素が多く見受けられる
個人の物販ですが、

慣れてくると
ある程度売り上げの
予測は立てられますし
移動時間もなく

自分の努力によってだけで
左右されるので、

煩わしい人間関係も発生しません。

もちろん外注さんとの
やり取りに気を遣う事はあっても
上下関係が発生する
ような事はないので、
昔の会社員時代よりは

私の性に合っていました

ただ、私が物販を始めたのは
ボスが生まれてからの事
既に夫婦仲が悪くなっていったので、

「今後のこと」
を考えて
一人でも子供たちを連れて
いつでも家を出られるように

当時、旦那さんには
猛反対されていましたが、

これは私の未来への投資
だと思い
無理してでも続けていました。

その積み重ねの
延長で今の私たち親子の形があります。

今では、私の求めていた
子供達優先の生活が
送れるようにまでなりました。

「どうしてもココさんでなければダメなんです」

「ココさんにお願いしたいです」

とおっしゃってくれる方とだけ
お仕事をさせて頂けるようにまでなりました。

クライアントには
子供が優先ということを
理解して頂いた上で
サポートをさせて頂いております。

投資を始めたのも
私が働けば
子供と過ごす時間が
減ってしまうので

出来るだけ仕事をしないこと
を考えた結果

お金に稼いでもらう
ということで投資を始めました。

成功者の方々は
皆さん、お金に働いてもらっています。

そのサイクルに乗れるよう
私も私なりの投資をしながら
ビジネスを行っています。

シングルママがどうやって
時間を作っているのか
どうやって資産を築いているのか

「子供中心」のライフスタイルを
叶えるために
日々考えていることや
実践していること

ココスタイルの子育て兼社長業について
一つ一つ綴っていこうと思います。

これからどうぞよろしくお願い致します。

体のコンプレックス

どうもこんにちは、
耳たぶ 太子(フトコ)です。


昔から何度ピアスに挑戦しても
耳たぶが太すぎて、


ピアスの穴が完成する前に
ファーストピアスが
取れてしまうという
悲しいエピソードの持ち主です。


おまけに肌も弱いので、
ピアスだとアレルギーの
リスクも出てきてしまいます。

なのに
ピアスの方が可愛いデザインが
多いので、

穴が開いてないのにも
関わらず、


憧れてピアスを買っていた
時期もありました。



そんな中、イヤリングだと
オールオッケーという程
現実は甘くもなく、



優しく包み込むタイプ(樹脂製)は
落ちてしまい
すぐに無くしてしまう事が
何度もありました。


もはや
写真のようにしっかりと
ネジで留める
イヤリングしか付けられません(涙)



筋金入りの
耳たぶ太子なのです。



耳たぶだけはダイエットも
出来ないので、この宿命を
受け入れて今日も生きていこうと
思います。